...みなその呑噬(どんぜい)の機会をまつをもって少しく我に乗ずべき隙あらばたちまちその国体を亡(うしな)うに至らん...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...隙あらば斬りつけんと身構える...
林不忘 「若き日の成吉思汗」
...隙あらば返り討ちに斬り捨てんと――虚実を尽くし合っていた...
吉川英治 「三国志」
...隙あらば荊州に入らんと...
吉川英治 「三国志」
...……して?」「柳ヶ瀬、茂山の乱軍より落ちのびた節は、まだ勝家の生死も定かならねば、北ノ庄まで落ちのびて、共に再挙を図(はか)らんとしたものでしたが、途中、手傷の悩みにたえかね、農家へ立ち寄って灸治(きゅうじ)のもぐさを求めたことから……武運拙(つたな)くもかくの如し……としばし眼をふせておりました」「無念、さもあろう」「また、檻車(かんしゃ)をもって槙島(まきしま)へ送られ、虜将の生き恥に耐え忍びおるも、番士の隙あらば、ここを破って脱出し、晋(しん)の予譲(よじょう)に倣(なら)うまでもなく、いつかは筑前に狙い寄り、お命をいただいて、亡き勝家の怨念(おんねん)をなぐさめ、賤(しず)ヶ嶽(たけ)中入(なかい)りの不覚の罪を、ひたすら詫びせん心底なり――と、平然として云い払うのでありました」「ああ、惜し、惜し」秀吉は歎声を発すると共に、眼に涙すら見せて、玄蕃允の心底に同情していた...
吉川英治 「新書太閤記」
便利!手書き漢字入力検索