...今は大坂(おおさか)の某寺の院主と為(な)っているとの事だ...
関根黙庵 「枯尾花」
...院主(出資者)の訓辞...
太宰治 「HUMAN LOST」
...御台所まかなひし侍る横田と云(いひ)し者、院主へ米五石御かし候へと申ければ、此山はむかしよりさやうのたくはへは多くし侍らず、坂本よりつゞけ候へば、無レ之よし被レ申(まうされて)、不レ応二其求(そのもとめにおうぜず)一、然間(しかるあひだ)糧(かて)つきて其夜供の人々うへにつかれ、横田を各(おの/\)悪口しければ、己が過を補はんためにや有けむ、院主不レ届よし、さん/″\にのゝしりければ、秀次ほの聞給ふて、此山の自滅の時来たるよなど、其悪(にくし)みふかゝりしなりと...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...これ等の文章を初めて載せた諸雑誌の編集者と出版を快諾して呉れた鉄塔書院主とへ謝意を表する...
戸坂潤 「イデオロギーの論理学」
...後には管長や院主が手を出して今のやうな地位にしてくれたのである...
レオ・トルストイ Lev Nikolaevich Tolstoi 森林太郎訳 「パアテル・セルギウス」
...ごらんの通りの盲目の身、東夷東条の安房の国、清澄の山を出でてより幾年月、世を渡るたつきとしては一面の琵琶、覚束ない音締(ねじめ)に今日まで通して来たが、琵琶は最後の思い出に竹生島の明神へ奉納し、わが身は山科の光仙林にしばらく杖をとどめていたが、山科よりは程遠からぬところ、ここは大日本の魚山として聞えたる大原の来迎院こそは声明の根本道場と聞くからに、ここで修行をさせていただきたい、奥義(おうぎ)というもおこがましいが、見えぬ世界を見んとする不具者の欣求心(ごんぐしん)に御憐憫(ごれんびん)を下されたい、入門の儀、ひたすらに御紹介を頼み入ると、これは例のほしいままなる広長舌を弄(ろう)することなく、極めて簡単明瞭に来意の要領を、まず声明(しょうみょう)の博士に向って披瀝(ひれき)しますと、博士はその志を諒なりとして、院主上人に向ってその希望を通じましたところ、院主上人は、また弁信の志を憐んで、これに対面して次のように申しました...
中里介山 「大菩薩峠」
...その時の院主僧都円長も最初のわしの師範であった美作の観覚得業も弟子になり皆自分の師範であった人が源空を戒師として弟子となった中にも...
中里介山 「法然行伝」
...院主余に徴するに菩提樹の歌を以てす...
長塚節 「長塚節歌集 上」
...おかしなことにお父さんと隣りの院主さんの争いが激しくなって来るそして冬になって寒くなると...
三好十郎 「詩劇 水仙と木魚」
...駿河台の今の明治大学の所にあった樫村清徳という病院主の夫人で...
柳田国男 「故郷七十年」
...不動院の院主という老人がそこへ来合せ...
吉川英治 「剣難女難」
...院主は梅花堂の心易(しんえき)をよくする者で...
吉川英治 「剣難女難」
...老院主に顛末(てんまつ)を話し...
吉川英治 「剣難女難」
...ここの院主行祐(ぎょうゆう)が...
吉川英治 「新書太閤記」
...院主(いんず)の大師以下...
吉川英治 「新・水滸伝」
...院主(いんず)は...
吉川英治 「新・水滸伝」
...案内してくれた院主の尼君が...
吉川英治 「随筆 新平家」
...沙門に槍など要(い)らぬ沙汰じゃが、宝蔵院という名が、変な名前を世間へ売ってしもうたので、当院の槍法が絶えるのは惜しいと人がいうので胤舜にだけ伝えたのじゃ」「その胤舜どのがお帰りの日まで院の片隅へでも、泊めておいて貰えますまいか」「試合うてみる気か」「せっかく、宝蔵院を訪れたからには、院主の槍法を、一手(て)なりと、拝見したいと思いますので」「よしなさい」日観は、顔を振って、「いらぬこと」と、たしなめるように重ねていう...
吉川英治 「宮本武蔵」
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