...敵軍の投降兵を収容所に収容する...
...投降兵の中には、情報を提供するために自ら降伏した者もいた...
...敵の投降兵が多数いたため、戦争はすぐに終結した...
...投降兵の中には負傷している者も多く、救急処置が必要だった...
...投降兵に対する扱いについては、国際法で規定されている...
...それ等の投降兵を吉賀町附近の寺院に一時的に収容した...
田畑修一郎 「医師高間房一氏」
...賊軍の降兵三十万...
吉川英治 「三国志」
...半数は、降兵となり、一部は逃亡し、踏みとどまった者はすべて火焔の下に死骸となった...
吉川英治 「三国志」
...降兵はことごとくゆるして...
吉川英治 「三国志」
...地方地方の帰降兵を収容し...
吉川英治 「三国志」
...司馬懿(しばい)は、降兵を収め、味方をととのえ、一日にして勝ちを制し、一鼓(こ)六足(そく)、堂々と新城へ入った...
吉川英治 「三国志」
...彼らは唯々(いい)として降兵の扱いを待つのである...
吉川英治 「三国志」
...魏の前に降兵として出ることになった彼の部下は...
吉川英治 「三国志」
...「ここの城も命旦夕(めいたんせき)」「たれのために死ぬのか」「家郷の妻子は泣いていよう」「降伏してこい」「降兵には...
吉川英治 「私本太平記」
...――孤塁千早を開いて、百七十日ぶりで降りてきた菊水の旗の前には、数千の降兵と、また和泉、紀伊、摂津(せっつ)の各地から呼応(こおう)してきた味方とに、「たのもしい楠木殿」「わが多聞兵衛(たもんびょうえ)どの」と、それこそ、時の氏神(うじがみ)の顕現(けんげん)のように、囲繞(いにょう)されていたのである...
吉川英治 「私本太平記」
...なにせい、数千の降兵と、俄に、宮方へなびいた近国の武者どもが、河内一円にひしめき出していることだ...
吉川英治 「私本太平記」
...勝てばどっと降兵を加えて強大となり...
吉川英治 「私本太平記」
...そのうえ敵がわからの投降兵もたえなかった...
吉川英治 「私本太平記」
...裾野陣(すそのじん)の降兵(こうへい)をくわえた約千余の人数を...
吉川英治 「神州天馬侠」
便利!手書き漢字入力検索