...降人は容れて、部隊にゆるし、首級は村里の辻に梟(か)けならべて、――天誅(てんちゅう)はかくの如し...
吉川英治 「三国志」
...降人を収めること十五万...
吉川英治 「三国志」
...よく降人を容れてそれを用いたためといわれています」将軍は...
吉川英治 「三国志」
...ここは(かぶと)を脱いで降人に出るしかありますまい...
吉川英治 「三国志」
...そして告げるに、降人の成敗と、愛馬を取返した事実をもってし、「これも将軍の虎威(こい)によるところと、諸大将相賀して、折ふし猪を猟して、いささか祝宴をひらいております...
吉川英治 「三国志」
...降人の主従を一ヵ所に止めさせておいたが...
吉川英治 「三国志」
...刃向うものは八ツ裂きにして猪(しし)狼(おおかみ)の餌にするぞ」張飛の声を聞くと、城兵は争って甲(よろい)や戈(ほこ)を投げ捨て、その大半以上、降人になった...
吉川英治 「三国志」
...またべつな降人の一隊は...
吉川英治 「三国志」
...呉の本営へ降人となって...
吉川英治 「三国志」
...ところで降人に出た劉禅(りゅうぜん)の余生はどうなって行ったろう...
吉川英治 「三国志」
...それらの降人を受け容れる忙しさに手いッぱいで...
吉川英治 「私本太平記」
...いかに降人も多かったかの一例として古典は彼を挙げている...
吉川英治 「私本太平記」
...尊氏は降人(こうじん)として...
吉川英治 「私本太平記」
...それらの降人も、今は皆、麾下(きか)の一兵として、藤吉郎の手に加わってはいるが、いずれもつい先頃までは、浅井家や朝倉家の禄を喰(は)んでいた者であるから、当然、敵へ駈け向わせても、その鉾先(ほこさき)は弱いにきまっている...
吉川英治 「新書太閤記」
...多くの降人の中から山名豊国のむすめを見出して...
吉川英治 「新書太閤記」
...みな降人(こうにん)に出て...
吉川英治 「新書太閤記」
...それゆえに彼は、十一月の末以来、常陸へ攻め入り、官衙穀倉を焼き払い、貞盛、為憲を追い、転じて、破竹の勢いで、上野、下野、相模、武蔵、伊豆、上総と、いたる所の国庁を占領し、降人を容れ、軍の威容を、数十倍にもして、ここに凱旋しながらも――またこの大祝典を挙行しながらも――それを悔いる気もちのほうがしきりであった...
吉川英治 「平の将門」
...景親をはじめ、降人どもは、それぞれ諸将の手に分けて預けられたが、その中に、滝口三郎も交じっていたのであった...
吉川英治 「源頼朝」
便利!手書き漢字入力検索