...芝公園金地院境内...
高浜虚子 「六百句」
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鶴彬 「鶴彬全川柳」
...慶長二十年江戸金地院の開山崇傳の「大藏一覽集」を銅活字で印刷したとき...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...「――大藏一覽の板行仰出候に付、物書衆六七人入申由に候、貴寺臨濟寺へ可申旨御諚に候、臨濟寺には折節無人にて漸一人從被遣由に候、貴寺衆僧五六人可被成御越候則從今日奉待候――三月廿二日、金地院、拜呈清見寺侍衆閣下」といふのであるが、「物書衆」といふのは原稿の手寫のほかに銅活字の種字を書くことをも意味してゐる...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...増上寺境内の金地院(こんじいん)にいたりしたが...
森鴎外 「安井夫人」
...芝の金地院に下宿したのも...
森鴎外 「安井夫人」
...金地院崇伝(こんちいんすうでん)だったといわれているのを見ても分るように...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...京都の龍泉庵や金地院の猿猴(ゑんこう)図をみれば...
吉野秀雄 「長谷川等伯の「松林図屏風」」
...家康のこの決定には南禅寺金地院崇伝の進言が有力に働いているといわれる...
和辻哲郎 「鎖国」
...金地院崇伝の勢力は依然として盛んであった...
和辻哲郎 「鎖国」
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