...一種の二重政体組織が存立していたという...
津田左右吉 「建国の事情と万世一系の思想」
...日本に二重政体の存続することを許さなくなった...
津田左右吉 「建国の事情と万世一系の思想」
...春信の得意とする艶麗なるその意匠はその筆法と色彩とを合せて共に奥村派の諸先輩に負ふ処あり(鈴木春信は北尾重政(きたおしげまさ)と同じく西村重長(にしむらしげなが)の門人なりと称せらる...
永井荷風 「江戸芸術論」
...歌川豊春北尾重政(きたおしげまさ)二家につぎて天明年代には葛飾北斎もまた勝春朗(かつしゅんろう)の名にて浅草金龍山(あさくさきんりゅうざん)...
永井荷風 「江戸芸術論」
...歌川豊春北尾重政の浮絵に比すれば布局は著しく簡明となりしに反してその設色はやや複雑にしかも大(おおい)に調和する所あり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...重政は鈴木春信の門人にして勝川春章一筆斎文調及び歌川豊春らと並びて明和安永間の名手なり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...重政の劇場を描ける絵本は墨摺(すみずり)三冊にて『戯場風俗栄家種(ぎじょうふうぞくさかえぐさ)』と題しその画風は全く鈴木春信に似たり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...北尾重政(しげまさ)の『絵本吾妻袂(あずまからげ)』...
永井荷風 「江戸芸術論」
...一種の二重政府状態のままで...
服部之総 「尊攘戦略史」
...討死いたしました」「重政殿も...
吉川英治 「大谷刑部」
...「あれには、山口重政(やまぐちしげまさ)がいるが、この城には、重政の老母が、人質として来ておれば、よも、敵対はなりますまい」「では、使いをやって、説いてみよう」滝川一益は、与十郎を味方にひき入れた手と同じ手法で、山口重政へも、利をもって、誘いをかけた...
吉川英治 「新書太閤記」
...使者にえらばれた吉田小助(よしだこすけ)という武者は、馬をとばして、大野川(おおのがわ)の堤をいそぎ、やがて、川を距(へだ)てて向うの城へ、「重政どの...
吉川英治 「新書太閤記」
...「おお、何だ小助」城の狭間(はざま)から、山口重政が、顔を出して答えるのを見て、「やあ、重政どのか...
吉川英治 「新書太閤記」
...重政には、骨がある」「といっても、蟹江にある御老母をどうするおつもりか」「……や、やかましいッ」と、重政は、涙をふって、泣き顔を、ひっつらせた...
吉川英治 「新書太閤記」
...午(ひる)すぎ、また、川向うの堤のうえに、千賀新左衛門(せんがしんざえもん)という蟹江の武者が来て、重政を呼び出し、吉田小助と同じように、老母の生命や、報酬(ほうしゅう)の利をもって、かれを説(と)いた...
吉川英治 「新書太閤記」
...重政も泣いてよろこんだ...
吉川英治 「新書太閤記」
...山口重政はこの合戦の前に...
吉川英治 「新書太閤記」
...山口重政に、実情を聞き、その重大性におどろいて、井伊隊は徹夜で、海岸、川の海口などへ、防柵(ぼうさく)を設けた...
吉川英治 「新書太閤記」
便利!手書き漢字入力検索