...皆は急いで醍醐の山に駈けて往つた...
薄田泣菫 「茶話」
...後醍醐(ごだいご)天皇の延元(えんげん)元年以来五十余年で廃絶(はいぜつ)したとなっているけれども...
谷崎潤一郎 「吉野葛」
...これは唐の初めに出來た本で、支那にはなくなつて日本に殘つて居り、却て支那で珍らしがられてゐる本でありますが、其内容は經史諸子等、支那の本の拔き書きで、天子に重要なと思はれる事のみが書かれてある、その群書治要で澤山である、それ程深くせぬでもいゝといふことを宇多法皇が仰せられたが、宇多法皇は勿論その後の天皇で名君と言はれた方は皆宏才博覽な方である、醍醐、村上、一條、後三條でも皆宏才博覽で文學などもよく出來てゐられるが、後宇多天皇も亦非常に宏才博覽で入らせられたといふことを言つて居ります...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...一面においてはお子さんで入らせられる後醍醐天皇が...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...後醍醐三代の天皇...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...後醍醐のような天皇でも...
蜷川新 「天皇」
...天皇後醍醐を尊敬しなかったことは...
蜷川新 「天皇」
...建武時代の後醍醐天皇が...
蜷川新 「天皇」
...プランニングだけなんで」「醍醐(だいご)の三宝院を写した...
久生十蘭 「我が家の楽園」
...後醍醐をお待ちして一戦をとげ...
吉川英治 「私本太平記」
...妃たちの手にもおえぬ後醍醐の大きなお体を...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐はおそばの廉子(やすこ)が案じるほど...
吉川英治 「私本太平記」
...――初めからの後醍醐方でもない...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐にとっては...
吉川英治 「私本太平記」
...もとより後醍醐は...
吉川英治 「私本太平記」
...そうのみではない」後醍醐は...
吉川英治 「私本太平記」
...そのほか、昨夜以来の配置によって、醍醐(だいご)、山科(やましな)、逢坂(おうさか)、吉田、白河、二条、七条、洛(らく)の内外いたるところも、秀吉指揮下の隊が部署についていない方面はない...
吉川英治 「新書太閤記」
...天皇後醍醐も側近三房の名も...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
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