...かの醍醐の花見と共に今も人々の語り草になっておりますくらい...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...朝廷に向って後醍醐(ごだいご)帝の北条氏を謀(はか)り給いたる遺策を献ぜり...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...後醍醐は、めざましいお怒り方で、嵯峨かどこかに隠れていたのを捕えさせた...
吉川英治 「私本太平記」
...醍醐の座主(ざす)にまで補せられて...
吉川英治 「私本太平記」
...同志的な結合をもつ後醍醐の帝座にすれば...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐も思われなかったし...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐はその季房をよびとめて...
吉川英治 「私本太平記」
...先帝(後醍醐)のお守(も)りにはとんと手を焼いたぞ...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐の侍側としていただけだった...
吉川英治 「私本太平記」
...そしてその深淵の龍王がそのまま後醍醐のおすがたのように彼へ映った...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐が現われると...
吉川英治 「私本太平記」
...隠岐の後醍醐も「退位する」とは決して仰せ出てないことである...
吉川英治 「私本太平記」
...伯耆(ほうき)大山(だいせん)以後の後醍醐軍のうごきなどまで...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐と三人の妃が...
吉川英治 「私本太平記」
...父皇後醍醐とのご対面は...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐はここ十数日の憂色も初めて...
吉川英治 「私本太平記」
...そして、軍(いくさ)によらず、力を用いず、努めて物事を話しあいの上で運ぼうとする御主旨のために、直義も服すしかなく、後醍醐の身辺も、いらい、仰せのままにして来たものだ...
吉川英治 「私本太平記」
...そのほか、昨夜以来の配置によって、醍醐(だいご)、山科(やましな)、逢坂(おうさか)、吉田、白河、二条、七条、洛(らく)の内外いたるところも、秀吉指揮下の隊が部署についていない方面はない...
吉川英治 「新書太閤記」
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