...山科から醍醐までは下り易(やす)い道です...
中里介山 「大菩薩峠」
...「では門徒のうちに然るべき器量の者があらば申出るように」そこで醍醐の俊乗房重源を推挙して...
中里介山 「法然行伝」
...後醍醐(ごだいご)...
蜷川新 「天皇」
...醍醐の花見の図の絵草紙的薄弱さとは比かくにならず又...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...もとよりおきき入れある後醍醐天皇ではなかった...
吉川英治 「私本太平記」
...反後醍醐派にも二つあった...
吉川英治 「私本太平記」
...同志的な結合をもつ後醍醐の帝座にすれば...
吉川英治 「私本太平記」
...父皇の後醍醐と両親王の間には...
吉川英治 「私本太平記」
...「――後醍醐(ごだいご)退治」とも罵(ののし)って憚(はばか)らないのではあったが...
吉川英治 「私本太平記」
...轅(ながえ)を担(にな)っていた前の兵が、とつぜん地へ膝を折って俯ッ伏し、がたっと、地響きやら物音がしたせつなに、輿の内から暴(あば)れ出た皇子(みこ)宗良の姿が、「あっ、お父ぎみ」と一ト声、それは辺りの肺腑(はいふ)をも刺すような劈(つんざ)きのまに、走り寄って、後醍醐のお胸へ、しがみついておられた...
吉川英治 「私本太平記」
...さらに後醍醐の警固には一そうの緊密を要するがと思い...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐もまた、沸(たぎ)るような眼で彼女の凝視に凝視を返していらっしゃる...
吉川英治 「私本太平記」
...そのころは後醍醐方の圧迫から持明院派はみな日蔭者の貧しさと...
吉川英治 「私本太平記」
...天下泰平の祈願をこめ終った後醍醐は...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐との禅縁をむすぶにいたらしめた蔭にも彼のすすめがあった...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐の帷幕(いばく)は...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐天皇のいた所は...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...藤房はじつは後醍醐の落胤であることが...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
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