...まさに醍醐味(だいごみ)である...
中勘助 「胆石」
...こんなことを言いました――「醍醐の三宝院へ参詣してごらんなさいませ...
中里介山 「大菩薩峠」
...醍醐(だいご)天皇時代くらいには大抵混同したのではないかと思います...
橋本進吉 「古代国語の音韻に就いて」
...後醍醐天皇であって...
吉川英治 「私本太平記」
...そして、後醍醐ご自身は、ここより車を南に回(かえ)し、奈良へ落ちん、というお計りなのである...
吉川英治 「私本太平記」
...「具行(ともゆき)」と、いまも後醍醐は、笠置山上のせまい行宮(あんぐう)の御座(ぎょざ)から、侍座(じざ)の源中納言具行へ、「すでに、秋の初めには、そこの手から、檄(げき)は国々の武門へ、くまなく飛ばしてあったろうにな」「は...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐が恋いこがれていらっしゃるのは...
吉川英治 「私本太平記」
...妃たちの手にもおえぬ後醍醐の大きなお体を...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐は、しばしば、その道誉の襟がみをつかんでは、彼の入道頭をガクガク小突き廻しながら、こんな風な酒言も弄(ろう)しておいでだった...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐に後醍醐の理想があったように...
吉川英治 「私本太平記」
...そして後醍醐には隠岐脱出いらい...
吉川英治 「私本太平記」
...聞かんのう」それは後醍醐の習性といってよく...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐と尊氏とのあいだには...
吉川英治 「私本太平記」
...いまのみかど後醍醐は...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐の召(めし)に応じ...
吉川英治 「私本太平記」
...こればかりは申しわけないと、彼もつねに、そのことは、ひとから触れられるのも怖れていたほどであり、たしかに、後醍醐にすれば、なかなかお恨みの消されぬ一事であるにちがいない...
吉川英治 「私本太平記」
...「お汝(こと)らのように、醍醐とは、こう書いたやら、ああ書いたやら……などと首をひねったり、筆の穂をなめたりして、この多忙な一日を暮していては、何と、今日のように、日月も世情も、車輪のごとく早く移り変りゆく時勢にあって人寿一代(じんじゅいちだい)の限りある身をもち、いったいどれほどな業ができると思いおるぞ...
吉川英治 「新書太閤記」
...後醍醐やらまたその二皇子の悲惨な流離を書くなど...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
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