...都人士の口はすでに一と昔も否もっと以前から舶来品の最上等を味わっていた...
相馬愛蔵 「私の小売商道」
...かれは用水縁(ようすゐべり)の路にその都人士らしい姿を見せつゝ寺の方へとやつて来た...
田山花袋 「ある僧の奇蹟」
...現にこの映画を見ている都人士とで...
寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
...軽井沢の町や新軽井沢の林間を歩いていて行き会う都人士は...
寺田寅彦 「軽井沢」
...「たぬきの舞踊」の詩には現代の若い都人士などには想像することさえ困難であろうと思われるような古い古い「民族的記憶」といったようなものが含まれているような気がする...
寺田寅彦 「自由画稿」
...稀に来る都人士には...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...此村にはあまり銃猟に来る都人士もないので...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...武蔵野の土の産物みゝずのたはこと武蔵野の霜の中から抜け出した白い大根や紅い甘藷が盛んに都人士の口に入る季節となりました...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...(周南)卷耳 漢廣(召南)何彼※矣(風)緑衣 雄雉 谷風(風)桑中 定之方中(衞風)氓 有狐(王風)中谷有※(魏風)園有桃(唐風)山有樞(陳風)墓門(小雅)常棣 伐木 天保 采薇 出車 魚麗 六月水 斯干 無羊 節南山 正月 十月之交 小弁 巧言 蓼莪 小明 楚茨 瞻彼洛矣 裳裳者華 采菽 都人士 隰桑 漸漸之石之華(大雅)緜 皇矣 生民 卷阿 瞻召旻(2)尚書召誥篇に云く王其疾敬徳...
内藤湖南 「支那歴史的思想の起源」
...江戸の都人士(とじんし)が遍(あまね)く名高い松として眺め賞したるものを挙ぐれば小名木川(おなぎがわ)の五本松...
永井荷風 「日和下駄」
...しかし大正の都人士に対しては石碑の文の如きは全く顧る所とならなかった...
永井荷風 「向嶋」
...至極物分りのいい邯鄲の都人士は直ぐに合點した...
中島敦 「名人傳」
...至極(しごく)物分(ものわか)りのいい邯鄲の都人士はすぐに合点(がてん)した...
中島敦 「名人伝」
...紛然(ふんぜん)雑然(ざつぜん)糅然(じゅうぜん)としてあたかもコンノート殿下歓迎の当時における都人士狂乱の態度を以(もっ)て脳裏をかけ廻る...
夏目漱石 「吾輩は猫である」
...これが中世の都人士の思いつきに始まったものでなく...
柳田国男 「年中行事覚書」
...当時は別に苦情もいわず結構都人士のお口にかなって舌鼓を鳴らしたもので...
山本笑月 「明治世相百話」
...都人士(とじんし)の宴席に興じられ...
吉川英治 「私本太平記」
...その蛮カラ振りを都人士の中に振舞うのを快とした...
吉川英治 「忘れ残りの記」
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