...關口隆正と親父の交遊は、畫家の寺崎廣業、邨田丹陵、詩人の滑川蟾如、茶人の中村宗知等と共に、明治中期の向島文人史の幾ページかを占める...
心猿 「桜もち」
...故人小杉榲邨(すぎむら)博士の遺族から売りに出した正倉院の御物(ぎよぶつ)が世間を騒がせてゐるが...
薄田泣菫 「青磁の皿」
...青磁の皿3・14故人小杉榲邨(すぎむら)博士の遺族から売りに出した正倉院の御物(ぎよぶつ)が世間を騒がせてゐるが...
薄田泣菫 「茶話」
...ある時養子の青邨(せいそん)が淡窓に訊いた事があつた...
薄田泣菫 「茶話」
...」青邨は腹のなかで養父の語(ことば)を味はつてみたが...
薄田泣菫 「茶話」
...その後(のち)青邨は広瀬旭荘(きよくさう)に出会つた...
薄田泣菫 「茶話」
...」青邨はいつだつたかの淡窓の答へを思ひ出して...
薄田泣菫 「茶話」
...青邨(せいそん)...
高浜虚子 「五百句」
...マスクして我と汝(なんじ)でありしかな一月二十三日青邨(せいそん)送別を兼ね在京同人会...
高浜虚子 「五百五十句」
...青邨送別会...
高浜虚子 「五百五十句」
...市駅で連中といつしよになる、十時の汽車で田ノ窪へ、そこから一里ばかり歩いて拝志の小山邸へ、同行は一洵、月邨、三土思夫妻、布佐女、栗田姉妹、――男四人の女四人で、賑やかであつた、田舎はよいなあと思ひながら野を行き川を渡つた、皿ヶ峰は特殊の上形をひろげてゐた、重信川はすつかり涸れてゐた...
種田山頭火 「松山日記」
...床には小杉(こすぎ)榲邨(おんそん)の「淡きもの味はへよとの親こゝろ共にしのびて昔かたらふ」と書いた幅を掛けてある...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...そのほか『鶯邨画譜(おうそんがふ)』『景文花鳥画譜』『公長略画』など選(え)り出し置く...
正岡子規 「病牀六尺」
...(六月七日)二十七○枕許に『光琳(こうりん)画式』と『鶯邨(おうそん)画譜』と二冊の彩色本があつて毎朝毎晩それをひろげて見ては無上の楽として居る...
正岡子規 「病牀六尺」
...『鶯邨画譜』の方に枝垂(しだ)れ桜(ざくら)の画があつてその木の枝を僅(わず)かに二...
正岡子規 「病牀六尺」
...湖邨(こそん)等の諸氏去りて...
正岡子規 「病牀六尺」
...地名の研究は邨岡良弼(櫟斎)先生などが早く...
柳田国男 「故郷七十年」
...青邨氏となると、童顏だ...
吉川英治 「折々の記」
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