...それが臨邑からきた臨邑八楽が主であった...
高楠順次郎 「東洋文化史における仏教の地位」
...急いでたくさんの金を邑宰(むらやくにん)に送り...
蒲松齢 田中貢太郎訳 「田七郎」
...林児を繋(しば)って邑宰の所へ送った...
蒲松齢 田中貢太郎訳 「田七郎」
...十七歳で邑(ゆう)の名士となり...
田中貢太郎 「劉海石」
...群馬縣邑樂郡海老瀬村などは一村皆な然うである...
田中正造 「公益に有害の鑛業を停止せざる儀に付質問書」
...705かくして衆は一切の獲物を頒つ邑の中...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
...都邑は國の盛衰に關係があり...
内藤湖南 「支那史學史概要」
...續漢書輿服志に襄邑より年々織成虎文を獻ずと書いてある所を見れば...
内藤湖南 「染織に關する文獻の研究」
...賞として領邑を與へることにしたが...
中島敦 「盈虚」
...但し米子は荒尾但馬の食邑なれば...
松浦武四郎 「他計甚※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57](竹島)雜誌」
...和之に蹤(つ)いていた宗愨(そうかく)謀って獅の形を製し象軍に向かうと象果して驚き奔(はし)りついに林邑に克(か)ったとある...
南方熊楠 「十二支考」
...王大いに感じ使人に封邑を賜い重用す...
南方熊楠 「十二支考」
...また備前国邑久(おく)郡朝日村の飯盛(いいもり)神社は...
南方熊楠 「神社合祀に関する意見」
...弘く邑里の間に分布していたことを伝えたものと見られる...
柳田国男 「海上の道」
...方言に邑中の堡城(ほじょう)これを土居という...
柳田國男 「地名の研究」
...時に、松波荘九郎(まつなみさうくらう)といふ者、武者修行として、稀、蜂須賀邑に到、日暮れ宿を求むるも応ずるものなし、小六正和、その居宅の檐下(のきした)に躊躇(ちうちよ)せるを怪しみて故を問ひ、艱難相救ふは、武士の常情なり、宜しくわが家に留るべしとして、懇切に迎へ入れしかば、松波喜びて、他日必ず恩を報ずべしとて、印符(いんぷ)を分ちて去りぬ...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...子曰く、求は千室の邑、百乗の家、これが宰たらしむべし、其の仁を知らざるなり...
和辻哲郎 「孔子」
...林邑楽(りんゆうがく)三舞...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
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