...関東の学者、道春以来、新井、室(むろ)、徂徠(そらい)、春台(しゅんだい)らみな幕府に佞(ねい)しつれども、その内に一、二箇所の取るべき所はあり...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...其後徳川の時代になつて林道春が「神社考」を書いた時にも...
内藤湖南 「應仁の亂に就て」
...星野博士は其治承四年ヨリ文永三年ニ至ルマテ凡八十七年間鎌倉幕府ノ日記ナリ編者ノ姓名傳ハラサルモ其幕府ノ吏人ナルハ疑ナシと云はれたれども余は寧ろ林道春の東鑑考に東鏡未詳撰...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...余は之を以て幕府の公書類となすよりは道春の考證に從ひて北條氏の左右の手に成れる者となすの穩當なるを信ずるなり...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...徳川政府の初にあたりて主として林道春(はやしどうしゅん)を採用して始めて儒を重んずるの例を示し...
福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
......
山川登美子・増田雅子・與謝野晶子 「恋衣」
...折から夏のことなるに、道春、家城が家に居ながら、しきりに眠りを催しければ、側(そば)にありたる大福帳を引きよせ、枕にして、宰予が楽しみに周公をや夢みられしと思わる...
南方熊楠 「失うた帳面を記憶力で書き復した人」
...道春見舞に来たられ...
南方熊楠 「失うた帳面を記憶力で書き復した人」
...道春聞いて、その帳とはいかなる物ぞ...
南方熊楠 「失うた帳面を記憶力で書き復した人」
...道春筆を執って、何月何日何貫目、何屋誰へ、縮緬五巻、晒し五反、代幾何(いくら)、何某誰殿へ、使い誰と、一字一点毛頭まで、うの毛ほども違いなく、両手に提(さ)げる大帳を半日ばかりに書きしまい、これでも銀(かね)にならぬかと、空嘯いておわしければ、家城大いに肝を潰し、絶入(ぜつじゅ)するほど我(が)を折りけり...
南方熊楠 「失うた帳面を記憶力で書き復した人」
...林道春(はやしどうしゅん)の文を雕(ほ)りたる石碑立てりとある...
南方熊楠 「十二支考」
...桑門虚舟(きょしゅう)子の『新沙石集(しゃせきしゅう)』四に、『経律異相』から『譬喩経』を引いて、「人あり、老いたる妻に聞きて白髪を残し黒きを抜き、また若き妻に聞きて白髪を抜き白粉(おしろい)を面に塗り青黛(せいたい)を眉(まゆ)に描く、小婦も老婦もこれを醜しとし追い出す、農して自活せんと思いしに、雨ふれば峰に登り日照れば谷に下りていたずらに暮しぬれば、畜生の報いを受けて犬となるに習因残れり、一の大河を隔てて東西に人里ある所に生まれて、朝の烟(けむり)東の里に立つ時は東に廻り到る、烟は立てども食いまだ出来ざる間、また西の里に烟立つを、いずれはさりともと思うてまた河を廻りて西に着くほどに、河の中にて力竭(つ)きて空しく流れ失(う)せぬ、心多き物は今生後生ともに叶わぬなり」と記せるを見るに、もと心の一定せぬ物は思い惑うて心身を労(つか)らし、何一つ成らぬという喩(たと)えに作られた仏説なるを、道春不案内で、実際そんな事蹟があったと信受して碑文を書いたのだ...
南方熊楠 「十二支考」
...三上道春(みかみどうしゅん)...
森鴎外 「渋江抽斎」
...昔の林道春の時分から伝わってきた「千代田文庫」と...
柳田国男 「故郷七十年」
...林道春の旧蔵本などには「渭雲遠樹書屋」の捺印や...
柳田国男 「故郷七十年」
...林道春の立派な鑑定書がついている...
山本笑月 「明治世相百話」
...林道春(はやしどうしゅん)の編修した本朝通鑑(ほんちょうつがん)という大部(だいぶ)な書物などがそれだ)あまりな大言に聞えた...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...林道春の輩(はい)には...
吉川英治 「梅里先生行状記」
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