...遊軍と云つた樣な所が可いかと思つてるがね...
石川啄木 「病院の窓」
...あなたは静子さんの方の遊軍におなりなさいな...
豊島与志雄 「運命のままに」
...自分も傍(そば)から折々遊軍的に質問を出して見た...
平田禿木 「趣味としての読書」
...中小屋加番(なかごやかばん)の井伊が遊軍としてこれに加はつてゐる...
森鴎外 「大塩平八郎」
...その他は遊軍というわけで...
山本周五郎 「風流太平記」
...遊軍として臨んだ...
吉川英治 「三国志」
...曹操は八十余万の大軍を催し、先鋒を四軍団にわかち、中軍に五部門を備え、後続、遊軍、輜重(しちょう)など、物々しい大編制で、明日は許都を発せんと号令した...
吉川英治 「三国志」
...北方の小道や山野など隈(くま)なく遊軍として見廻っているように」と...
吉川英治 「三国志」
...しかし、なお念のために、臣さきに密命をくだして、関興、張苞(ちょうほう)の二人に各兵二万をさずけ、遊軍として、諸方の攻め口に万一のある場合、奔馳(ほんち)して救うべしといいつけてありますから、どうか御心を安められますように」と、初めてこのことを、帝劉禅(りゅうぜん)の奏聞(そうもん)に入れて、万端のそなえを打ち明け、最後に、「ただ、ここに問題は、何といっても、呉のうごきでありましょう」と、彼はここにいたると、眸(ひとみ)をつよめ、語気をあらためて、要するに全対策の主眼は、一に呉にあるものであるという胸中の確信を、その容子(ようす)にあらわして云った...
吉川英治 「三国志」
...ただここに蜀の遊軍高翔(こうしょう)と張翼とが...
吉川英治 「三国志」
...彼方の森蔭にある遊軍が突いて出ますから」「そんなことは分っておる...
吉川英治 「私本太平記」
...七千騎 脇屋駿河守義助遊軍...
吉川英治 「私本太平記」
...御辺のいういわゆる応変自在の遊軍を...
吉川英治 「私本太平記」
...また、遊軍とみえ、有海ヶ原いちめんに、山県隊、高坂隊の旗じるしが、夜目にも翩々(へんぺん)とうごいて見えた...
吉川英治 「新書太閤記」
...汝らは、遊軍となって、数正の陣の前面にある味方をたすけ、夜をとおして、攻めたてい...
吉川英治 「新書太閤記」
...そのほか物々しい軍勢をおき、西部方面は、これを信雄の軍にまかせ、遊軍として、石川伯耆守数正(いしかわほうきのかみかずまさ)を、全陣のわきに備えた...
吉川英治 「新書太閤記」
...それと遊軍の騎兵三百ずつが...
吉川英治 「新・水滸伝」
...べつに“山上大隊”と称する遊軍だの烽火台(のろしだい)の哨戒(しょうかい)隊などもあって雷横(らいおう)...
吉川英治 「新・水滸伝」
便利!手書き漢字入力検索