...下に辱知有志(じょくちゆうし)と刻(きざ)んであった...
田山花袋 「田舎教師」
...おのれ始めて上田先生が辱知(じょくち)となるを得たりしは千九百八年三月先生の巴里(パリー)に滞留せられし時なり...
永井荷風 「書かでもの記」
...辱知(じょくち)の貴殿に...
久生十蘭 「顎十郎捕物帳」
...かねて辱知の仕立屋のお針(クウチュリエール)嬢...
久生十蘭 「ノンシャラン道中記」
...どうやら辱知(しりあい)の牛である...
久生十蘭 「ノンシャラン道中記」
...見るからに険相な人物はすでに各位辱知の酒月守である...
久生十蘭 「魔都」
...しばしば述べたように、噴水の鶴が歌を唄うなどといいだしたのは、夕陽新聞社長幸田節三の相棒、読者各位辱知の、日比谷公園々丁長酒月守の人を喰った発案で、もとより根も葉もない事であった...
久生十蘭 「魔都」
...吉江氏とはまだ不幸辱知の榮を得ないが武井眞澂畫伯は年來尊敬する高士であるから院主の需に應じて...
藤原咲平 「山岳美觀」
...幸ひにして現世一とたびなりと先生の辱知は得たが...
正岡容 「山の手歳事記」
...そののち小林一三先生の辱知を得た時...
正岡容 「わが寄席青春録」
...辱知 小島烏水識わたくしが夜雨君と始めて會つたのは卅二年の一月で...
横瀬夜雨 「花守」
...辱知 江東生夕の光堤にもえし陽炎(かげろふ)は草の奈邊(いづこ)に匿(かく)れけむ緑は空の名と爲りて雲こそ西に日を藏(つゝ)めさゝべり淡き富士が根は百里(ひやくり)の風に隔てられ麓に靡く秋篠の中に暮れ行く葦穗山雨雲覆ふ塔(あらゝぎ)に懸れる虹の橋ならで七篠(なゝすぢ)の光...
横瀬夜雨 「花守」
...露伴翁には辱知もない私には...
吉川英治 「折々の記」
...「その、辱知らずが」と、鎌倉武士にしてからが、彼を、蔑侮(べつぶ)の眼で迎え、「……何を、また?」と、高時との会見にも、要心をおこたらなかったが、しかし会見は、定房ののぞみで、人交ぜもせず、石庭(せきてい)ノ亭(てい)の一室でおこなわれた...
吉川英治 「私本太平記」
...辱知(じょくち)の御縁もあるので...
吉川英治 「随筆 新平家」
...辱知(じょくち)を得...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...未知辱知(じょくち)の人々から...
吉川英治 「宮本武蔵」
...そのほか氏の紹介で辱知をえた人々も少なくない...
吉川英治 「忘れ残りの記」
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