...十三日、辛卯、鴨社の氏人菊大夫長明入道、雅経朝臣の挙に依りて、此間下向し、将軍家に謁し奉ること度々に及ぶと云々、而るに今日幕下将軍の御忌日に当り、彼の法花堂に参り、念誦読経の間、懐旧の涙頻りに相催し、一首の和歌を堂の柱に注す、草モ木モ靡シ秋ノ霜消テ空キ苔ヲ払フ山風同年...
太宰治 「右大臣実朝」
...十八日、辛卯、伊賀前司朝光、和田左衛門尉義盛、北面の三間所に候す可きの由、今日武州伝へ仰せらる、彼所は、近習の壮士等を撰びて結番祗候せしむと云々、而るに件の両人は、宿老たりと雖も、古物語を聞召されんが為、之に加へらるる所なり...
太宰治 「右大臣実朝」
...廿日、辛卯、南京十五大寺に於て、衆僧を供養し、非人に施行有る可きの由、将軍家年来の御素願なり、今日京畿内の御家人等に仰せらると云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...弥勒元辛卯と記した由を引き...
南方熊楠 「十二支考」
...永正三丙寅と承安元辛卯...
南方熊楠 「十二支考」
...慊堂は明和八年辛卯の生である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...逍遙院実隆(さねたか)の享禄辛卯(八年)の抄本が即是である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...次年辛卯には死ぬる女である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...二年辛卯 平八郎三十九歳...
森鴎外 「大塩平八郎」
...この文の末尾に「天保辛卯(しんぼう)季秋(きしゅう)抽斎酔睡(すいすい)中に※言(えいげん)す」と書してある...
森鴎外 「渋江抽斎」
...辛卯は天保二年で...
森鴎外 「渋江抽斎」
...二十四年辛卯、四十五歳...
森鴎外 「能久親王年譜」
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