...下自ら蹊(けい)を成す」とは確かに知者の言である...
芥川龍之介 「侏儒の言葉」
...李蹊(りけい)は母堂(ぼどう)と運命(うんめい)を共(とも)にしたのである...
今村明恒 「地震の話」
...石本李蹊(いしもとりけい)翁(おう)のは知(し)る人(ひと)が少(すくな)い...
今村明恒 「地震の話」
...李蹊(りけい)翁(おう)も又(また)以(もつ)て瞑(めい)するに足(た)るといはれてもよいであらう...
今村明恒 「地震の話」
...鼠蹊のほとり丁と射て...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
...鼠蹊部(そけいぶ)の上に膿傷(のうしやう)が出来て...
林芙美子 「浮雲」
...この険窄な径蹊(みち)を征服して高い頂きに達した時の歓びを想ふと...
牧野信一 「〔婦人手紙範例文〕」
...蒿蹊(こうけい)が『勝地吐懐篇(しょうちとかいへん)』の凡例(はんれい)の下に「はた地理は知らでもよみうたにさはりなしといふは世の常なれど...
正岡子規 「人々に答ふ」
...『質屋庫』より数年前に成った伴蒿蹊(ばんこうけい)の『閑田次筆(かんでんじひつ)』二やそれより七十年前出来た寒川辰清(さむかわたつきよ)の『近江輿地誌略』十一に引いた通り...
南方熊楠 「十二支考」
...その文を蒿蹊が和らげたままに概略を写すとこうだ...
南方熊楠 「十二支考」
...其処(そこ)は人間の鼠蹊部(そけいぶ)というような処(ところ)で外皮を切れば腿の肉は胴の肉と離れているから篦(へら)で腿の肉を押開(おしひら)くとその下に腸が見えて薄い膜(まく)が腸を蔽(おお)っている...
村井弦斎 「食道楽」
...蘭軒の詩にも「門蹊欲転小天台...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...寛政六年甲寅の中秋に、七絶三首があつて、引に「中秋与六如上人、蠣崎公子、伴蒿蹊、橘恵風、大原雲卿、同泛舟椋湖」と云つてある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...次は文化三年七月二十六日に歿した伴蒿蹊(ばんかうけい)で...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...吾兄在彼諳山蹊...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...中期以後に生れたのは花蹊女史の一門で跡見玉枝...
山本笑月 「明治世相百話」
...ぼくの子どもが成蹊中學へ入學したので...
吉川英治 「折々の記」
...成蹊中學へ通學し出した長男にも...
吉川英治 「折々の記」
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