...月夜にコロシウムの廃趾を越え...
愛知敬一 「ファラデーの伝」
...今は「チャム」と云う人種が交趾に残っている...
高楠順次郎 「東洋文化史における仏教の地位」
...そして院が上達部(かんだちめ)や殿上人(てんじょうびと)と御一緒に水飯(すいはん)を召しあがったという釣殿はどのへんにあったのだろうと右の方の岸を見わたすとそのあたりはいちめんに鬱蒼(うっそう)とした森が生(お)いしげりそれがずうっと神社のうしろの方までつづいているのでその森のある広い面積のぜんたいが離宮の遺趾(いし)であることが明かに指摘できるのであった...
谷崎潤一郎 「蘆刈」
...足ノ趾ノ股(また)マデモ一本々々拭イ取リ...
谷崎潤一郎 「瘋癲老人日記」
...即ち、舊城趾なり...
長塚節 「草津行」
...燒趾(やけあと)の灰(はひ)から出(で)て青銅(せいどう)のやうに變(かは)つた銅貨(どうくわ)はぽつ/\と燒(や)けた皮(かは)を殘(のこ)して鮮(あざや)かな地質(ぢしつ)が剥(む)けて居(ゐ)た...
長塚節 「土」
...中国女性の纏足(足の変形)は7才のころに包帯をきつくして4本の趾を強く曲げて...
マクス・ノイバーガー Max Neuburger 水上茂樹訳 「医学の歴史」
...趾の裏が今温い方が気持がいい...
原民喜 「焔」
...巧みに趾先(あしさき)さぐりに通り抜けて...
三上於菟吉 「雪之丞変化」
...先棒の趾先(つまさき)は...
三上於菟吉 「雪之丞変化」
...かの像竹から地下へ抜け失せしまうという(『仏領交趾支那(コシャンシン・フランセーズ)雑誌』一六号に載ったエーモニエの『柬埔※(カンボジヤ)風習俗信記』一三六頁)...
南方熊楠 「十二支考」
...今にその趾(あと)あり云々...
南方熊楠 「十二支考」
...隣席の学生は城趾や藤村の碑のある方向を指さして...
矢田津世子 「茶粥の記」
...すなわち足趾(そくし)のつけ根の一番力の入る部分を...
柳田国男 「山の人生」
...湯槽(ゆぶね)の中で趾(あしゆび)を動かしてみる位にまで長大な姿になっている...
夢野久作 「ドグラ・マグラ」
...高句麗時代の城趾をも存し...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...汗流額及趾...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...本阿弥光悦ノ宅趾実相院町東南部ニアリと明記してあっても...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
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