...桓武天皇は、828年に摂関政治の基礎を築くため、桓武平氏を豊前国に封じ、それ以降、平氏は摂関家の一族となった...
...今行幸道路を隔てて見ゆる海上ビルデングのあたりには松平豊前(ぶぜん)が住まっていた...
高浜虚子 「丸の内」
...横輪豊前の兵は南から...
谷崎潤一郎 「武州公秘話」
...豊前守(ぶぜんのかみ)がつけてくれる...
中里介山 「大菩薩峠」
...――ともかく豊前長州で下車してみたい...
中原中也 「夏」
...この姉妹は幕末の外国奉行新見豊前守(にいみぶぜんのかみ)の遺児だという...
長谷川時雨 「柳原※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子(白蓮)」
...武人にして宗祇の弟子なる杉原伊賀入道宗伊、上原豊前守、二階堂入道行二、玄清の弟子宗祇の孫弟子なる明智入道玄宣等は、おりおり実隆と一座した人々である...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...豊前小倉城主小笠原右近将監殿...
久生十蘭 「ボニン島物語」
...長州室津の心配是(こ)れも私が姓名を隠して豊前(ぶぜん)中津(なかつ)から江戸に帰(かえっ)て来た時の事です...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...それを三斎が豊前で千石に召し抱えた...
森鴎外 「阿部一族」
...豊前の人である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...純粋な豊前語(ぶぜんご)である...
森鴎外 「鶏」
......
柳田國男 「地名の研究」
...西国の手当にしても、彼は、在京中の少弐頼尚(しょうによりひさ)や宗像大宮司氏範(むなかただいぐうじうじのり)らをさしむけて、豊前、筑後、肥後の兵を催(もよお)させていたが、それらの将にたいする尊氏の心づかいなども、内々、じつに細やかだった...
吉川英治 「私本太平記」
...豊前の小倉へ下るには...
吉川英治 「宮本武蔵」
...そのまま陸路を豊前(ぶぜん)の小倉まで行くつもりらしい...
吉川英治 「宮本武蔵」
...豊前(ぶぜん)の大里(だいり)の浦か」「左様でございます」「思い出した――この辺りの浦々や島は...
吉川英治 「宮本武蔵」
...秀吉から豊前の父のもとへ派遣されたとき...
和辻哲郎 「鎖国」
...豊前の細川忠興も関ヶ原戦の際に犠牲になったガラシヤ夫人の思い出のためにキリシタンを保護していたが...
和辻哲郎 「鎖国」
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