...酒を追加する……小豆は意気を銷沈(しょうちん)せしめる...
泉鏡花 「薄紅梅」
...些(ちと)ばかりの豆滓(きらず)を携へ...
巌谷小波 「こがね丸」
...『美少年録』でも『侠客伝』でも皆謄写した気根の強い筆豆(ふでまめ)の人であったから...
内田魯庵 「八犬伝談余」
...『伊豆日報(いずにっぽう)』を持ってきてくれ...
江戸川乱歩 「怪人二十面相」
...一度はわたしの豆畠を荒らしたヤマネズミをぶち殺すことまでやった――韃靼人(だったんじん)の言葉を借りていえば彼の転生輪廻(てんせいりんね)を実施し――半ば実験的な気持で彼をむさぼり喰らった...
ソーロー Henry David Thoreau 神吉三郎訳 「森の生活――ウォールデン――」
...別棟(べつむね)の豆腐納屋(とうふなや)のほうが助かったので...
壺井栄 「二十四の瞳」
...伊豆山温泉に行った時も...
豊島与志雄 「好人物」
...豆腐屋から少しばかりの賃金が貰えるからでもあるが...
中村地平 「南方郵信」
...汁粉(しるこ)であるか煮小豆(ゆであずき)であるか眼前(がんぜん)に髣髴(ほうふつ)する材料もないのに...
夏目漱石 「京に着ける夕」
...ふやけた大豆が石油鑵(かん)の中につけてあった...
林芙美子 「新版 放浪記」
...美濃以東に出でた淨土宗の布教僧は、宗祖法然上人の外數多あるが、其主なるものは相模地方まで傳道した隆寛(法然弟子)と善惠證空(同上)とである、就中善惠の事業はすばらしいもので、其布教路は中山道を信濃に出て、それよりして南は武藏、北は越後に及んで居り、其弟子隆信(立信)は三河地方に淨音法興は美濃から越前にかけて布教して居る、爰に注意すべきことは、同じく北陸道の國々でも、若狹や越前は京畿の布教圈内に入るが、越後は之と異りて、信濃から往復したもので、全くちがつた方面に屬することである、これは善惠の場合に於て然るのみならず聖光の弟子良忠一派の場合について考へても同じである、聖光は所謂鎭西派の開祖で其人自身は東國に關係を有して居らぬけれど、其弟子なる記主禪師即良忠は、實に善惠以後に於ける淨土宗の東國大布教者であつて、大往還に外づれて居る伊賀、志摩、伊豆、安房の四國を除けば、東海道中いづれの國も良忠か若くは其弟子なる唱阿性眞、持阿良心及び良曉等の風靡する所とならぬはない、否單に海道の諸國許りでなく東山道に於て信濃及び上野、下野、北陸の越後皆此良忠一派の化導を受けて居る、北陸諸國の中、加賀、能登、越中、佐渡は鎌倉時代の中にまだ淨土宗の風化に接しなかつた、これは地勢の不便によると思はれる...
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」
...伊豆方の水夫は苫の下から端舟を運びだし...
久生十蘭 「重吉漂流紀聞」
...そして阪急で買った煮豆を...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...巴豆の細末と大黄の一両宛に鍋臍灰を混じて...
牧野信一 「毒気」
...アトで小父さんがうんと美味しい南京豆買ってやるからな」「この馬鹿野郎...
正岡容 「圓太郎馬車」
...甘く煮た黒豆! 一太は食慾のこもった眼を皿の豆に吸いよせられながら...
宮本百合子 「一太と母」
...奥州辺の胡桃餅の様に南京豆餅と称して可なり...
村井弦斎 「食道楽」
...大正十一年旭光照波元日の夜明の伊豆の海のほとり...
與謝野晶子 「晶子詩篇全集拾遺」
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