...要するに新詩社一派は根本の一個所に誤解があるように僕には見えるです...
伊藤左千夫 「子規と和歌」
...南欧の地を風靡(ふうび)したるフェリイブル詩社の翹楚(ぎようそ)なり...
上田敏 上田敏訳 「海潮音」
...名高い江西詩社の盟主黄山谷(くわうさんこく)が...
薄田泣菫 「独楽園」
...「明星」の四号位からその新詩社に入社したが与謝野先生の添削は大へんなもので...
高村光太郎 「美術学校時代」
...それ故私等は故意にその「呪はれたる言葉」をとつて詩社の標語とした...
萩原朔太郎 「月に吠える」
...蒲原有明先生の如きもこの花を当時の新詩社の象徴だつたとして囘顧し居られる...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...この海潮音は当時私達新詩社の仲間に大きな感激を齎らし...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...新詩社の新風はその大破壊の上に酷しい修練の結果打ち建てられたもので...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...欅皆新詩社をめがけて散つたのであらう...
平野萬里 「晶子鑑賞」
......
山川登美子・増田雅子・與謝野晶子 「恋衣」
...現在それぞれ境遇の変つてゐる新詩社の旧友の事などを話し合ふのであつた...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...その後与謝野寛先生の主宰する新詩社に入り...
吉井勇 「老境なるかな」
...短詩社の詩會の日である...
吉川英治 「折々の記」
...横浜短詩社、句会などにも折々出席、磯萍水、安斎一安、高沢初風氏らの横浜文壇なるもの大いに盛り、与謝野寛、晶子氏などの歌壇も交じえて浜港の青春子女に文化志向の夢高まる...
吉川英治 「年譜」
...×山陽の生活は、こうして居る間に、まったく、母とはべつになって、彼は彼で、詩社の交友とか、知己の留別とかに、いやでも外出がちになり、帰りはきまって大酔(たいすい)して戻った...
吉川英治 「梅※[#「風にょう+思」、第4水準2-92-36]の杖」
...隣り座敷に混沌(こんとん)詩社の若い詩人たちが来合せて...
吉川英治 「梅※[#「風にょう+思」、第4水準2-92-36]の杖」
...横浜短詩社をやっていた弁護士の安斎一安氏から「横浜で子供にアマサンを掛けさせた一番初めの人は...
吉川英治 「忘れ残りの記」
...内藤策君の抒情詩社から出したものであつた...
若山牧水 「樹木とその葉」
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