...然らずして徒爾(とじ)に訓詁(くんこ)を講明(かうめい)するのみならば...
佐藤一齋・秋月種樹(古香) 山田濟齋訳 「南洲手抄言志録」
...明の一訓詁学者(くんこがくしゃ)は宋代典籍の一にあげてある茶筅(ちゃせん)の形状を思い起こすに苦しんでいる...
岡倉覚三 村岡博訳 「茶の本」
...訓詁註釈にのみ熱心なること比々然りである...
高群逸枝 「女性史研究の立場から」
...暗誦訓詁すべきものとしての古典とされ典拠とされた...
戸坂潤 「認識論としての文芸学」
...是れは或は經書と同じくそれに對する訓詁とすべき部分を爾雅に含んでゐると見られないこともない...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...最初釋詁一篇が出來...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...※祠嘗蒸等の主なる祭は全く釋詁と重複してゐるのである...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...釋訓篇の如きは又釋詁釋言の體裁を學んで...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...さて爾雅の中で最も古い此の釋詁篇が...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...所が其體裁から考へて尤も疑問となるのは釋詁篇に於て殊に重複の多いことである...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...釋詁が終也を以て終らないで其の次に崩薨無禄卒徂落殪死也を以て終つてゐることである...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...釋言が釋詁の體裁に從つて爾雅に附加へられた時にも猶此の一節が無かつたのではなからうかといふことである...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...益々春秋の製作が最初の釋詁の出來た後に在るのではないかと思はしめるのである...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...釋詁篇が單に始也に始まつて...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...釋詁釋言に近い體裁を存してゐるに反して...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...ただ古今書録には經解・詁訓が子目に現はれた...
内藤湖南 「支那目録學」
...それは例へば史記が訓詁の詞を以て本文を替へたことが...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...先生は多くの訓詁註解者の上に立つて全然自分一箇のあたまで批判しようとしてゐたらしい...
野上豐一郎 「「漱石のオセロ」はしがき」
便利!手書き漢字入力検索