...操觚者流(さうこしやりう)の寓意譚(ぐういたん)にあらず...
石川啄木 「閑天地」
...天下の操觚者(そうこしゃ)ほとんど筆を揃(そろえ)てその偉人たることを称す...
伊藤左千夫 「絶対的人格」
...この初陣(ういじん)の功名に乗じて続いて硯友社の諸豪と轡(くつわ)を駢(なら)べて二作三作と発表したなら三唖もまた必ず相当の名を成して操觚(そうこ)の位置を固めたであろうが...
内田魯庵 「硯友社の勃興と道程」
...夫までは殆んど道楽だった操觚(そうこ)をしてプロフェッショナルとしても亦存在し得るような便宜を与えたのは日本の文芸の進歩を助くるに大に力があったのを何人も認めずにはおられぬだろう...
内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
...当時の雑誌の存在は実は操觚者の道楽であって...
内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
...今と違ってマダ操觚者(そうこしゃ)の報酬の薄かったその頃に三十になるかならぬかの文筆労働者でこれだけの家を建築したのは左も右くも成功者であった...
内田魯庵 「美妙斎美妙」
...リットンやユーゴーらの操觚者と政治家とを一身に兼ぬる文明的典型を学ぶようになったからだ...
内田魯庵 「四十年前」
...東南至奴國百里、官曰馬觚、副曰卑奴母離、有二萬餘戸...
陳壽 「魏志倭人傳」
......
春のやおぼろ 「怪談牡丹灯籠」
...副曰二泄謨觚柄渠觚一...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...官曰二馬觚一...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...泄謨觚、柄渠觚、馬觚 泄謨觚も馬觚もみなシマコ、即ち島子と訓むべきに似たり...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...柄渠觚はヒココ即ち彦子などゝや訓むべき...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...○三田出身の操觚者(そうこしゃ)中松本水上の二子最も喜ぶ可し...
永井荷風 「偏奇館漫録」
...又「上巳与余語觚庵犬冢吉人...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...古庵一に觚庵にも作つたか...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...天錫(てんせき)は恐くは觚庵(こあん)の字(あざな)であらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...果して操觚者の能く為す所であらうか...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
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