...天下の操觚者(そうこしゃ)ほとんど筆を揃(そろえ)てその偉人たることを称す...
伊藤左千夫 「絶対的人格」
...操觚者(そうこしゃ)も出版者も新聞雑誌社も硯友社に拠(よ)らざれば文壇の仕事は何一つ出来ないような形勢となった...
内田魯庵 「硯友社の勃興と道程」
...当時の雑誌の存在は実は操觚者の道楽であって...
内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
...博文館が此の趨勢に乗じて率先してビジネスとしての雑誌を創め各方面の操觚者を集めてプロフェッショナルとしても存在し得る便宜を与えたる功績は決して争われないであろう...
内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
...同じ操觚(そうこ)に携わるものは涙なしには読む事が出来ない...
内田魯庵 「八犬伝談余」
...二十(はたち)か二十一で一躍して数年以上の操觚(そうこ)の閲歴を持つ先輩を乗越して名声を博し...
内田魯庵 「美妙斎美妙」
...今と違ってマダ操觚者(そうこしゃ)の報酬の薄かったその頃に三十になるかならぬかの文筆労働者でこれだけの家を建築したのは左も右くも成功者であった...
内田魯庵 「美妙斎美妙」
...それ故に同じ操觚(そうこ)でも天下の木鐸(ぼくたく)としての新聞記者を希望して...
内田魯庵 「二葉亭追録」
...リットンやユーゴーらの操觚者と政治家とを一身に兼ぬる文明的典型を学ぶようになったからだ...
内田魯庵 「四十年前」
...從來の所謂支那通や旅行家や操觚業者の手から供給されたものに比ぶれば幾何かヨリ正しく且つヨリ深い支那智識を提供して切迫せる日本官民一般の需要に應ずることが必要であると感ずるのである...
橘樸 「支那を識るの途」
...副曰二泄謨觚柄渠觚一...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...泄謨觚、柄渠觚、馬觚 泄謨觚も馬觚もみなシマコ、即ち島子と訓むべきに似たり...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...或人の話に現時操觚(そうこ)を業となすものにして...
永井荷風 「十日の菊」
...ただ独(ひとり)恐る可(べ)きは操觚(そうこ)の士である...
永井荷風 「※[#「さんずい+(壥−土へん−厂)」、第3水準1-87-25]東綺譚」
...以上の諸名家に次(つ)いで大正時代の市井狭斜の風俗を記録する操觚者(そうこしゃ)の末に...
永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
...然るに当時の操觚者は文士を侮辱するものとして筆を揃へてこの事を罵つた...
永井荷風 「来訪者」
...全くのジャーナリズム王国築かれて操觚(そうこ)世界へ君臨するようになって以来のこととおもう...
正岡容 「我が圓朝研究」
...天錫(てんせき)は恐くは觚庵(こあん)の字(あざな)であらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
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