...観心寺(かんしんじ)および信貴山(しぎさん)...
高村光雲 「幕末維新懐古談」
...すると、観心寺道から、石見川(いわみがわ)ぞいに、里の方へ下りて来た四、五人づれの郷武者たちが、「やあ、御老体」すぐ見かけて、中の一人、天見ノ五郎が問いかけた...
吉川英治 「私本太平記」
...中院でも観心寺でも...
吉川英治 「私本太平記」
...観心寺の柵(さく)...
吉川英治 「私本太平記」
...遠くは麓の観心寺や佐備(さび)...
吉川英治 「私本太平記」
...ひがしの北山、前面の肩衝山(かたつきやま)、ほか幾ツもの小さい嶂巒(しょうらん)や峰が、ふところの襟もとをなしていて、麓からの中津原道、観心寺道、ほか一道の三ツを峡門の口で括(くび)ッているのである...
吉川英治 「私本太平記」
...どの方面に」「長野、観心寺、中津原口、三道(さんどう)ともにうごいていますし、遠くの東条、石川の空にまで、黄塵(こうじん)が立ち舞っているなど、ただごとではありません」「そうか」「敵のうちで新手の参加やら陣がえがおこなわれ、これまでにない猛攻撃を起そうとしているのではありますまいか」「ならば、正季、吉兆(きっちょう)だよ...
吉川英治 「私本太平記」
...あいかわらず観心寺の御坊の許へ通って...
吉川英治 「私本太平記」
...さきにも天野山金剛寺や観心寺やまた久米田寺などへも...
吉川英治 「私本太平記」
...ただ同日、小雨の中を、観心寺、赤坂、水分(みくまり)、楠木氏夫人の遺蹟など、多大な労をとって下すった郷土の諸氏に、厚くお礼だけをのべておく...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...先月、つい書きもらしたが、五月下旬の私たち一行の“河内紀行”は、私にそんな腹案があったのと、ちょうど東北大の豊田武教授とも同行の約が出来たので、大阪滞在中の寸暇、あいにくな小雨を見つつも、むりに出かけて、観心寺、水分神社(みくまりじんじゃ)、楠妣庵(なんびあん)などを中心に、あの附近を一日じゅう、濡れ歩いてみたわけだった...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...観心寺の下で待ってくれた永島住職や小柴河内長野市長...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...で、観心寺には、檜(ひ)ノ尾山(おさん)の山号もある...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...観心寺(かんしんじ)にもいて...
吉川英治 「日本名婦伝」
...観心寺の一室に迎えて...
吉川英治 「日本名婦伝」
...河内観心寺地方へ出むく...
吉川英治 「年譜」
...観心寺(かんしんじ)の如意輪観音(にょいりんかんのん)に密教風の神秘性が遺憾なく現われているとすれば...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...成熟せる蠱惑的(こわくてき)な女体をその蠱惑的なままに観音に高めるというごとき(たとえば観心寺の如意輪観音)あの著しい傾向を生んだことの理解によって...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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