...袁祁の命歌ひたまひしく...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...北平の公孫(こうそんさん)は、「かねての密約」と、これも袁紹の前言を信じて、兵を進めて来たが、冀州(きしゅう)はもう袁紹の掌(て)に落ちているので、弟の公孫越を使者として、「約定のごとく、冀州は二分して、一半の領土を当方へ譲られたい」と、申込むと、袁紹は、「よろしい...
吉川英治 「三国志」
...袁紹は、仰天して、「すわや、例の玄徳か」と、われがちに逃げ戻り、人馬互いに踏み合って、後には、折れた旗、刀の鞘、兜(かぶと)、槍など、道に満ち散っていた...
吉川英治 「三国志」
...曰(いわ)く、「――呉の孫策、船手(ふなで)をそろえて、大江を押渡り、曹操と呼応して、これへ攻めよせてくるやに見えます!」西南の急報を聞いて、「なに、孫策が」と、袁術は仰天した...
吉川英治 「三国志」
...袁術へ提携を呼びかけた婚姻政略の蒸し返しは...
吉川英治 「三国志」
...兄袁紹へ例の伝国(でんこく)の玉璽(ぎょくじ)を贈って...
吉川英治 「三国志」
...いよいよ袁家(えんけ)の大慶でもあることと信じ...
吉川英治 「三国志」
...袁紹を諫めて、「どうも、文醜の用兵ぶりは、危なくて見ていられません、機変も妙味もなく、ただ進めばよいと考えているようです...
吉川英治 「三国志」
...幾度か袁紹にも招かれたが袁紹には仕えず...
吉川英治 「三国志」
...まず河北の袁紹(えんしょう)とは絶縁することになった...
吉川英治 「三国志」
...軍(いくさ)の大勢をながめていた袁紹(えんしょう)方の宿将審配(しんぱい)は...
吉川英治 「三国志」
...袁紹は直ちに実行させたのである...
吉川英治 「三国志」
...逢紀は、どうかしてこの際、袁譚、袁尚(えんしょう)の兄弟を仲よくさせたいものと、独断で、冀州(きしゅう)へ使いをやり、「すぐ、援けにおいでなさい」と、袁尚の来援をうながした...
吉川英治 「三国志」
...袁譚の肚(はら)は...
吉川英治 「三国志」
...袁譚に対する殺意をかためていた...
吉川英治 「三国志」
...劉表から態(てい)よく拒否された袁譚は...
吉川英治 「三国志」
...そして自身はなお幽州へ進攻して、袁煕(えんき)、袁尚(えんしょう)のふたりを誅伐(ちゅうばつ)すべく準備に怠りなかったが、その間にまず袁譚の首を、城の北門に梟(か)けて、「これを見て歎く者があれば、その三族を罰すであろう」と、郡県にあまねく布令(ふれ)た...
吉川英治 「三国志」
...亡父(ちち)の遺志を思い出して、袁兄弟も、後には鳩に化けないこともない...
吉川英治 「三国志」
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