...孫恪は遁げるのも怖ろしいのでそのまま袁氏の婿となっていた...
田中貢太郎 「碧玉の環飾」
...一清(しん)の名家袁随園(えんずいえん)が『詩話』巻(まきの)四に「詩ハ淡雅(たんが)ヲ貴(たっと)ブトイヘドモマタ郷野(きょうや)ノ気有ルベカラズ...
永井荷風 「小説作法」
...袁世凱(えんせいがい)を気取るような無茶な野心家ではない...
中里介山 「大菩薩峠」
...その旺(さかん)なのに袁紹も驚いた...
吉川英治 「三国志」
...袁紹(えんしょう)将軍の寵将(ちょうしょう)で...
吉川英治 「三国志」
...敵も味方も、鳴りを忘れて、ひそとなった一瞬――まるで血の池を渡って来たような黒馬にまたがって、関羽は静々と、数万の敵兵をしり目に、袁紹、曹操たちの眼のまえに帰ってきた...
吉川英治 「三国志」
...袁紹と烈しい喧嘩別れをして...
吉川英治 「三国志」
...袁紹も、公孫も、同日に兵馬をまとめて、おのおの帰国したが、その後、公孫は、長安へ感謝の表を上せて、そのついでに、劉備玄徳を、平原(へいげん)の相(しょう)に封じられたいという願いを上奏した...
吉川英治 「三国志」
...――袁術(えんじゅつ)の寿春城(じゅしゅんじょう)へさして...
吉川英治 「三国志」
...袁術皇帝も、「その儀、しかるべし」と、許容あって、立ちどころに大々的脱出の手配にかかった...
吉川英治 「三国志」
...――では早速、袁術へ宛て、書簡をしたためるからそれを携えて、淮南へ急いでくれい」「御命、かしこまりました――しかし、この下(かひ)の城は、すでに敵の重囲にあり、また、淮南の通路は、劉玄徳(りゅうげんとく)が関をもうけて、往来を厳しく監視しておりますとか...
吉川英治 「三国志」
...袁術(えんじゅつ)に謁(えっ)し...
吉川英治 「三国志」
...袁術は浅慮(あさはか)にも...
吉川英治 「三国志」
...孫乾(そんけん)もつらつら袁紹の人物ときょうの容子をながめて...
吉川英治 「三国志」
...沮授(そじゅ)や田豊(でんほう)などという忠良の臣を失って、そのことばが時折、悔いの底に思い出されていたところなので、袁紹もこんどは、「左様か……...
吉川英治 「三国志」
...「袁尚...
吉川英治 「三国志」
...濫口(らんこう)まで退去して、ここの要害に拠(よ)ろうと布陣していると、四方から焼打ちをうけて、またも進退きわまってしまったので、袁尚はついに、降伏して出た...
吉川英治 「三国志」
...袁紹(えんしょう)は死し...
吉川英治 「三国志」
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