...「衛尉の任に就く」...
...「衛尉に出頭する」...
...「衛尉の意見を参考にする」...
...「衛尉は古代中国における軍隊組織の中で、軍団の司令部に置かれた役職である」...
...「衛尉の地位は、武門の出身者が就いた」...
...奉行人三浦平六兵衛尉さまのお代官との私闘がございました時に...
太宰治 「右大臣実朝」
...一日、壬申、幕府に於て和歌御会有り、題は梅花万春を契る、武州、修理亮、伊賀次郎兵衛尉、和田新兵衛尉等参入す、女房相まじる、披講の後、御連歌有りと云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...かの陳情書を御返却たまはるやう四郎兵衛尉をして大官令にお取りなしのほどをお願ひ申し上げさせたところ...
太宰治 「右大臣実朝」
...三日、癸卯、小雨灑ぐ、義盛粮道を絶たれ、乗馬に疲るるの処、寅剋、横山馬允時兼、波多野三郎、横山五郎以下数十人の親昵従類等を引率し、腰越浦に馳せ来るの処、既に合戦の最中なり、仍つて其党類皆蓑笠を彼所に棄つ、積りて山を成すと云々、然る後、義盛の陣に加はる、義盛時兼の合力を待ち、新羈の馬に当るべし、彼是の軍兵三千騎、尚御家人等を追奔す、義盛重ねて御所を襲はんと擬す、然れども若宮大路は、匠作、武州防戦し給ひ、町大路は、上総三郎義氏、名越は、近江守頼茂、大倉は、佐々木五郎義清、結城左衛門尉朝光等、各陣を張るの間、通らんと擬するに拠無し、仍つて由比浦並びに若宮大路に於て、合戦時を移す、凡そ昨日より此昼に至るまで、攻戦已まず、軍士等各兵略を尽すと云々、酉剋、和田四郎左衛門尉義直、伊具馬太郎盛重の為に討取らる、父義盛殊に歎息す、年来義直を鍾愛せしむるに依り、義直に禄を願ふ所なり、今に於ては、合戦に励むも益無しと云々、声を揚げて悲哭し、東西に迷惑し、遂に江戸左衛門尉能範の所従に討たると云々、同男五郎兵衛尉義重、六郎兵衛尉義信、七郎秀盛以下の張本七人、共に誅に伏す、朝夷名三郎義秀、並びに数率等海浜に出で、船に掉して安房国に赴く、其勢五百騎、船六艘と云々、又新左衛門尉常盛、山内先次郎左衛門尉、岡崎余一左衛門尉、横山馬允、古郡左衛門尉、和田新兵衛入道、以上大将軍六人、戦場を遁れて逐電すと云々、此輩悉く敗北するの間、世上無為に属す、其後、相州、行親、忠家を以て死骸等を実検せらる、仮屋を由比浦の汀に構へ、義盛以下の首を取聚む、昏黒に及ぶの間、各松明を取る、又相州、大官令仰を承り、飛脚を発せられ、御書を京都に遣はす...
太宰治 「右大臣実朝」
...筑後四郎兵衛尉さまが...
太宰治 「右大臣実朝」
...その四月七日には御警護の山内左衛門尉さまと筑後四郎兵衛尉さまをお召しになつて不思議の御予言をなされ...
太宰治 「右大臣実朝」
...和田新兵衛尉朝盛さまが...
太宰治 「右大臣実朝」
...この将軍家の最も御寵愛なされてゐた新兵衛尉朝盛さまさへ...
太宰治 「右大臣実朝」
...なかゞわ瀬兵衛尉どのゝ首を討ったと申すしらせがござりまして...
谷崎潤一郎 「盲目物語」
...松の風よたとん(四谷っとんびの略称)安直兄い木口勘兵衛尉源丁馬どうしてこの連中が今ここへ...
中里介山 「大菩薩峠」
...木口勘兵衛尉源丁馬と...
中里介山 「大菩薩峠」
...まさしく木口勘兵衛尉源丁馬...
中里介山 「大菩薩峠」
...木口勘兵衛尉源丁馬が傲然(ごうぜん)として正座に構えたところを見ると...
中里介山 「大菩薩峠」
...右兵衛尉・左兵衛尉というものがその実空官であったけれども...
柳田國男 「名字の話」
...同じ通称の区別法一地方で三人か五人かの衛門尉・兵衛尉のある間は...
柳田國男 「名字の話」
...乙部八兵衛尉のうらぎりに依(よ)って城を乗取り...
山本周五郎 「死處」
...ただ九条兼実の日記「玉葉」に出てくる近江の山下兵衛尉(ひょうえのじょう)義経と称する者が...
吉川英治 「随筆 新平家」
...佐藤兵衛尉義清であるが...
吉川英治 「随筆 新平家」
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