...「衛尉の任に就く」...
...「衛尉に出頭する」...
...「衛尉の意見を参考にする」...
...「衛尉は古代中国における軍隊組織の中で、軍団の司令部に置かれた役職である」...
...「衛尉の地位は、武門の出身者が就いた」...
...佐原太郎兵衛尉に付せらると云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...而るに新兵衛尉朝盛...
太宰治 「右大臣実朝」
...筑後四郎兵衛尉さまが...
太宰治 「右大臣実朝」
...その四月七日には御警護の山内左衛門尉さまと筑後四郎兵衛尉さまをお召しになつて不思議の御予言をなされ...
太宰治 「右大臣実朝」
...和田新兵衛尉朝盛さまが...
太宰治 「右大臣実朝」
...この将軍家の最も御寵愛なされてゐた新兵衛尉朝盛さまさへ...
太宰治 「右大臣実朝」
...内藤兵衛尉朝親さまが京都よりの御土産として新古今和歌集一巻を献上なされ...
太宰治 「右大臣実朝」
...斯くて正月のうちに佐久間河内守、滝川豊前守、佐藤駿河守、水野亀助、石尾与兵衛尉、竹中貞右衛門尉の六人を選んで普請奉行(ふしんぶぎょう)に命じ、「伏見普請の儀、油断無く勤め候へ、かねて入用の物どもは目録を以て石田増田長束などに相談せしめ、萬(よろづ)はかの行くやうに有るべき旨」を仰せたので、六人の衆は「忝き仰せには御座候へ共、小知小見の身を以て莫大なる御普請の儀いかゞおはしまし候べき」と一往辞退したのであったが、「その儀は叶はず」とあって、遂にお受けをした...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...松の風よたとん(四谷っとんびの略称)安直兄い木口勘兵衛尉源丁馬どうしてこの連中が今ここへ...
中里介山 「大菩薩峠」
...その中でも竹中半兵衛尉重治(たけなかはんべえのじょうしげはる)の研究に就いては...
中里介山 「大菩薩峠」
...ガラリと腰高障子を引きあけた木口勘兵衛尉源丁馬は...
中里介山 「大菩薩峠」
...惟光(これみつ)宰相の子の兵衛尉(ひょうえのじょう)が掘って持って来たのである...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...右兵衛尉・左兵衛尉というものがその実空官であったけれども...
柳田國男 「名字の話」
...乙部八兵衛尉(おとべはちべえじょう)らと共に一揆の徒にくみし...
山本周五郎 「死處」
...乙部八兵衛尉のうらぎりに依(よ)って城を乗取り...
山本周五郎 「死處」
...楠木兵衛尉(クスノキヒヤウヱノジヨウ)ノ事右...
吉川英治 「私本太平記」
...次の『楠木兵衛尉ノ事』...
吉川英治 「私本太平記」
...山下兵衛尉義経という史上の疑問人物と共に研究中である...
吉川英治 「随筆 新平家」
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