...戸外で衆徒が拡声器でスピーチをしていた...
...彼は聴衆を引きつける話し方で、衆徒を虜にした...
...衆徒が賛成の声を上げた...
...衆徒の中には反対する人もいた...
...彼女は衆徒の中に紛れ込んで、演説に飛び入りした...
...此の時(承久元年八月五日)三千の衆徒が大秘伝法の絶滅を悲しみ山を下ろうとしたのを...
谷崎潤一郎 「覚海上人天狗になる事」
...衆徒の蜂起をすすめ...
中里介山 「法然行伝」
......
正岡子規 「俳人蕪村」
...衆徒と応対して危く馬脚を露わそうとしているが...
柳田国男 「雪国の春」
...根来(ねごろ)の衆徒をひきいれ...
吉川英治 「私本太平記」
...反大塔ノ宮の衆徒をかたらい...
吉川英治 「私本太平記」
...主上はすでに大宮の彼岸所(ひがんしよ)に御座(ぎよざ)あれど未(いま)だ参(さん)ずる大衆一人もなしさては衆徒も心を変じぬるや……と...
吉川英治 「私本太平記」
...すでに三井寺から敗れ落ちて来た衆徒やら細川兵は...
吉川英治 「私本太平記」
...しかも麾下(きか)には、万余の新軍勢を加え、山門の衆徒三千、さらに園城寺(おんじょうじ)の大衆までをかぞえてみると、義貞すらが、「まだ、かくも、余力はあったのか」と、その大兵力に、自信をとりもどしたほどであり、四明(しみょう)の嶺(みね)、大岳、西坂本、ひがし坂本、要路要路、目に入るかぎりはすべて自陣の旗だった...
吉川英治 「私本太平記」
...万を数える師弟骨肉を殺戮(さつりく)された衆徒や有縁(うえん)の者どもが...
吉川英治 「新書太閤記」
...奈良の興福寺の衆徒と、その衆徒が、当代の生き仏と仰いでいる、笠置(かさぎ)の解脱上人(げだつしょうにん)とであった...
吉川英治 「親鸞」
...今の平家に対してすら、山の衆徒は、決して腹まで服従はしていないのである...
吉川英治 「源頼朝」
...丁度この頃には叡山の衆徒が京都の治安を司る松永久秀に対して三カ条の要求を提出していたが...
和辻哲郎 「鎖国」
...京都では叡山の衆徒が浅井朝倉の軍を助けて信長の京都把握を危殆(きたい)に陥れた...
和辻哲郎 「鎖国」
...かくて山門の衆徒は栄西を訴え...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...南都の衆徒は源空を法敵として立ち...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...彼の時代は南都北嶺の衆徒が放火殺人を事とする時代である...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...なおその武力的示威を止めない衆徒の手中にあった...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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