...若い頃のは蜀山人以上に衒気(げんき)満々としていたが...
内田魯庵 「美妙斎美妙」
...振つたりと聞きて驚き、蜀山人と聞きて、猶更驚き、膝を進め、腰を搖がして、その故を問へば、牛は何と鳴くぞ、もう/\、狐は何と鳴くぞ、こん/\...
大町桂月 「牛經」
...(岡田武松)解説鈴木牧之翁略伝本書の著作者鈴木牧之(ボクシ)翁は、明和七年正月七日に、越後の国の塩沢に生れた、塩沢は今日の新潟県南魚沼郡塩沢町である、幼時は弥太郎と云つたが、大きくなつてから、儀三治と改めた、翁の父は、質屋と縮布の仲買を営んでゐた、さうして渡世の傍に、俳諧に遊び、周月庵牧水と号してゐた、翁の牧之と云ふ号は、父の牧水の一字を採つたのである、牧之翁は幼時から英敏であつた、大運寺の快運法師に師事して経書を学び、詩は徳昌寺の虎斑禅師に就て学んだ、翁はまた幼時より画を狩野梅笑に学んで、凡んど画師に近いまでの腕前になつてゐた、北越雪譜の挿画の如きは、原図は大部分翁自ら画いたものである、壮年の頃から、既に風流韻事を解し、諸芸百般に通じてゐたから、交遊は甚だ広かつた、殊に当時の一流の文士であつた馬琴、真顔、六樹園、蜀山人、京伝、京山、一九、三馬、玉山なぞと親交あり、漢学者の鵬斎なぞとも交を訂し、画家では文晁、北斎なぞとも懇意であつた、その外に、名優団十郎、名妓花扇とも往復をしてゐた、元来北越の田舎に多く在住し、商用にて時折上京し、寸※を割いては是等の名流を訪れたのである、然し交通の不便な時代にさう頻繁に上京は出来なかつたから、多くは書簡の往復での交りが多かつた、翁はその往復の書簡を丁寧に蒐集して「筆かゞみ」と名づけて珍蔵して居られた...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...蜀山人(しよくさんじん)が見たといふ鰻(うなぎ)になりかけた薯蕷(やまのいも)のやうに...
薄田泣菫 「茶話」
...『鶉衣(うずらごろも)』に収拾せられた也有の文は既に蜀山人(しょくさんじん)の嘆賞措(お)かざりし処今更後人(こうじん)の推賞を俟(ま)つに及ばぬものであるが...
永井荷風 「雨瀟瀟」
...蜀山人(しょくさんじん)の狂歌におけるや全く古今に冠(かん)たり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...文政(ぶんせい)六年蜀山人七十五歳を以て逝(ゆ)く...
永井荷風 「江戸芸術論」
...芭蕉と蜀山人の吟咏を以て江戸文学の精粋なりとなせり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...主人能筆の聞え高く蜀山人の筆致殆ど其の真偽を弁ぜざる程なりといふ...
永井荷風 「古本評判記」
...蜀山人(しょくさんじん)が作にも金竜山下起二金波一〔金竜山下(きんりゅうさんか)に金波(きんぱ)を起(お)こし砕二作千金一散二墨河一千金(せんきん)を砕作(さいさく)して墨河(ぼくが)に散(ち)る別有三幽荘引二剰水一別(べつ)に幽荘(ゆうそう)の剰水(じょうすい)を引(ひ)ける有(あ)りて蒹葭深処月明多蒹葭(けんか)深(ふか)き処(ところ)月明らかなること多(すぐ)れり〕という絶句がある...
永井荷風 「向嶋」
...蜀山人などは江戸ッ子がって...
中里介山 「大菩薩峠」
...さすがに蜀山人太田南畝(しょくさんじんおおたなんぽ)先生の弟子だけあって...
久生十蘭 「平賀源内捕物帳」
...小石川の素(も)と蜀山人(しょくさんじん)の住居(すまい)と云(い)う家に住(すん)で居た...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...蜀山人(しょくさんじん)の狂歌に「さ蕨が握り拳(こぶし)をふり上げて山の横つら春風ぞふく」...
南方熊楠 「十二支考」
...「蜀山人移家于学宮対岸...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」「蜀山人先生御病気のよし御次に宜奉願上候...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...大田の病人と蜀山人とは別人ではないかと疑つた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...もっとも蜀山人にも文宝亭や酒月米人の如き模倣者があるように...
山本笑月 「明治世相百話」
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