...南岳は蜀山人大田南畝の孫で...
心猿 「露伴忌」
...若い頃のは蜀山人以上に衒気(げんき)満々としていたが...
内田魯庵 「美妙斎美妙」
...そして半年後に失望のうちに長崎を退帆したニコライ・レザノフは、幕閣も、蜀山人も、司馬江漢も、想像できぬやうな決心を抱いてゐたのである...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...蜀山人始め寝惚(ねぼけ)先生と号して狂詩集を梓行(しこう)せしは明和四年十九歳の時にしてその先輩平秩東作平賀鳩渓(ひらがきゅうけい)らと始めて相知れり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...安永より天明(てんめい)末年あたかも白河楽翁公(しらかわらくおうこう)の幕政改革の当時に至るまでおよそ二十年間は蜀山人の戯作(げさく)界に活動せし時にして狂歌の名またこの時において最も高かりき...
永井荷風 「江戸芸術論」
...この前年蜀山人既に狂歌の事よりして小普請入(こぶしんいり)を命ぜらる...
永井荷風 「江戸芸術論」
...芭蕉と蜀山人の吟咏を以て江戸文学の精粋なりとなせり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...むかし蜀山人が碑の全文を里言葉でつくつた遊女なにがしの墓のある事を故老から聞き伝へて...
永井荷風 「里の今昔」
...蜀山人(しょくさんじん)が吟咏(ぎんえい)のめりやすにそぞろ天明(てんめい)の昔をしのばせる仮宅(かりたく)の繁昌(はんじょう)も...
永井荷風 「散柳窓夕栄」
...蜀山人(しょくさんじん)が作にも金竜山下起二金波一〔金竜山下(きんりゅうさんか)に金波(きんぱ)を起(お)こし砕二作千金一散二墨河一千金(せんきん)を砕作(さいさく)して墨河(ぼくが)に散(ち)る別有三幽荘引二剰水一別(べつ)に幽荘(ゆうそう)の剰水(じょうすい)を引(ひ)ける有(あ)りて蒹葭深処月明多蒹葭(けんか)深(ふか)き処(ところ)月明らかなること多(すぐ)れり〕という絶句がある...
永井荷風 「向嶋」
...木場は或日蜀山人の狂歌で...
永井荷風 「来訪者」
...蜀山人(しょくさんじん)が...
中里介山 「大菩薩峠」
...蜀山人(しょくさんじん)と貝原益軒もいいが...
野村胡堂 「胡堂百話」
...蜀山人の著書「俗耳鼓吹」である...
三木貞一 「初代谷風梶之助」
...「蜀山人は、(中略)伝えていう、かの人江都(えど)小田原町辺の魚肆に因みありて往きかいけるが、一日かの家に往きけるおり、店(みせ)にありける帳を把(と)って、漫(すずろ)に披閲しけれども、その身に無用の物なれば、熟視するというにはあらず、物語などする間(ま)に間に、始めより終りまでくりてみたりしが、そのままに掻いやり捨てて気にもとめず...
南方熊楠 「失うた帳面を記憶力で書き復した人」
...」「蜀山人先生御病気のよし御次に宜奉願上候...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...毎度かの有名なる蜀山人(しょくさんじん)の...
柳田国男 「木綿以前の事」
...もっとも蜀山人にも文宝亭や酒月米人の如き模倣者があるように...
山本笑月 「明治世相百話」
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