...九段(くだん)の坂下の近角常観(ちかずみじょうかん)の説教所は本(も)とは藤本というこの辺での落語席であった...
内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
...中津(なかつ)の藤本元岱(ふじもとげんたい)という...
高山毅 「福沢諭吉」
...十一三月のある日、藤本の庭では、十畳の廊下外の廂(ひさし)の下の、井戸の処(ところ)にある豊後梅(ぶんごうめ)も、黄色く煤(すす)けて散り、離れの袖垣(そでがき)の臘梅(ろうばい)の黄色い絹糸をくくったような花も、いつとはなし腐ってしまい、椎(しい)の木に銀鼠色(ぎんねずいろ)の嫩葉(わかば)が、一面に簇生(そうせい)して来た...
徳田秋声 「縮図」
...藤本も人の出入りがしげくなり...
徳田秋声 「縮図」
...藤本君や片岡君や小笹君が一緒に私たちとこうして食べているのなら...
永井隆 「長崎の鐘」
...「猟師はどこへ行った」「逃げたかな」「逃げたようじゃ、逃げて訴人(そにん)でもしおると大事じゃ」「いいや、訴人したとて恐るるに足らん、藤堂の番所までは六里もあるだろう、ゆるゆる腹を拵(こしら)えて出立する暇は充分」「よし十人二十人の討手が向うたからとて、かくの如く兵糧(ひょうろう)さえ充分なら、何の怖るることはない」「とかく戦(いくさ)というものは、腹が減ってはいかん」「古いけれども、それが動かざる道理」「それにしても、中山侍従殿には首尾よく目的のところへお落ちなされたかな」「こころもとないことじゃ」「十津川を脱(ぬ)けて、あの釈迦(しゃか)ヶ岳(たけ)の裏手から間道(かんどう)を通り、吉野川の上流にあたる和田村というに泊ったのが十九日の夜であった」「その通り」「中山殿はじめ、松本奎堂、藤本鉄石、吉村寅太郎の領袖(りょうしゅう)は、あれから宿駕籠(しゅくかご)で鷲家(わしや)村まで行った、それから伊勢路へ走ると先触れを出しておいて、不意に浪花(なにわ)へ行く策略であったがな」「彦根の間者が早くもそれと嗅(か)ぎつけて、大軍でおっ取り囲んだ――吉村殿と、安積(あづみ)五郎殿が一手を指揮して後方の敵に向うている間に、藤本、松本の両総裁が前面の敵を斬り開いて、中山卿を守護してあの場を落ち延びたが、さて危ないことであった」「そこを落ち延びると、忽(たちま)ち紀州勢が現われて藤本殿はあわれ斬死(きりじに)じゃ...
中里介山 「大菩薩峠」
...藤本のならば宜(よ)き智恵も貸してくれんと...
樋口一葉 「たけくらべ」
...陰に廻りて機関(からくり)の糸を引しは藤本の仕業に極(きわ)まりぬ...
樋口一葉 「たけくらべ」
...龍華寺の藤本は生煮えの餅のやうに真(しん)があつて気になる奴と憎がるものも有(あり)けらし...
樋口一葉 「たけくらべ」
...藤本は来年学校を卒業してから行くのだと聞いたが...
樋口一葉 「たけくらべ」
...「藤本組の女傑」と呼ぶ者もあるほど...
火野葦平 「花と龍」
...藤本の嬢(じょう)も...
火野葦平 「花と龍」
...八幡の藤本組と縁談がととのっとるということ...
火野葦平 「花と龍」
...藤本が虚心に諒解しているので...
火野葦平 「花と龍」
...共にその蔓が左巻きをしている纏繞藤本で...
牧野富太郎 「アケビ」
...藤本作次郎の家に宿す...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...例えば藤本といって義侠心もあり...
柳田国男 「故郷七十年」
...藤本プロのニュー・フェースの角梨枝子(すみりえこ)の兄さんであると知った...
吉川英治 「随筆 新平家」
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