...しかもその藤川はいつか島根県へ左遷されてしまった...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...四藤川の女将の斡旋(あっせん)で若林の話がきまった晩...
徳田秋声 「縮図」
...名古屋もののお神も、飯よりもそれが好きだったが、類をもって集まるものに、常磐津(ときわず)の師匠に、その女房の師匠より一つ年上の自前の年増、按摩(あんま)のお神などがあり、藤川のお神は、名古屋で子供まで出来た堅気の嫁入り先を失敗(しくじ)ったのも、多分その道楽が嵩(こう)じてのことかと思われるほどの耽(こ)り性(しょう)で、風邪(かぜ)の気味でふうふう言っている時でも、いざ開帳となると、熱のあるのも忘れて、起き出して来るのであった...
徳田秋声 「縮図」
...」十春の七草に、若林は銀子のペトロンとして春よしの芸者全部に昼間の三時から約束をつけ、藤川へ呼んだ...
徳田秋声 「縮図」
...藤川や春よしのお神にもたかられた...
徳田秋声 「縮図」
...藤川が眼を外(そ)らしめた...
直木三十五 「三人の相馬大作」
...この界隈すなわち――京極の故城址上平寺(かみひらでら)を中心にして、左に藤川、右は例の弥高(いやたか)から姉川にかけての小高い地点、土地の人が称して「お城跡」という部分の広大な地所内を、お銀様が我物顔に、この驕慢(きょうまん)な歩みぶりを以てみれば、この辺一帯の地は、まさしくこの人の所有権内にうつり、そうしてお城あとの中の「江北殿(こうほくどの)」と呼ばれている部分の修補と復興が、これから女王の宮殿となり、新理想境の本山となろうとするものであるらしい...
中里介山 「大菩薩峠」
...藤川近義先生ノ年廻リニハ出席ガ五百八十半人有ッタガ...
中里介山 「大菩薩峠」
...藤川一彦・石田守衛・能勢妙子・轟美津子が当選した...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「のどか」で藤川の豆腐屋が...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...藤川一彦事森繁久弥出征の送りである...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...人間を描いたって藤川栄子などのように主として衣服の面白さを描いていて...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...藤川さんに表紙を描いて貰って女のひとが何かしながらひょいとこっちへ顔を向けて今にも物を云いかけそうな...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...藤川さん本気でかいてくれたから...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...宿藤川駅...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...彼は藤川の高地に床几(しょうぎ)をすえ...
吉川英治 「私本太平記」
...「二十人は、垂井(たるい)、関ヶ原、藤川、馬上(まけ)、長浜のあいだ、行く先々の村民に触れて、日暮れなば、松明(たいまつ)を道々に灯(とも)しおくこと...
吉川英治 「新書太閤記」
...三州額田郷(ぬかだごう)藤川の宿場と...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
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