...十四年に藤川縣令が未だ正直なる時代に斯樣な令達を出したのに...
田中正造 「公益に有害の鑛業を停止せざる儀に付質問書」
...此の藤川爲親と云ふ者が放り出されると...
田中正造 「亡國に至るを知らざれば之れ即ち亡國の儀に付質問」
...贔屓(ひいき)に呼んでくれる藤川(ふじかわ)という出先のお神の見立てで...
徳田秋声 「縮図」
...四藤川の女将の斡旋(あっせん)で若林の話がきまった晩...
徳田秋声 「縮図」
...藤川のお神が間に立って...
徳田秋声 「縮図」
...」十春の七草に、若林は銀子のペトロンとして春よしの芸者全部に昼間の三時から約束をつけ、藤川へ呼んだ...
徳田秋声 「縮図」
...ある時銀子は藤川のお神にちょっとお出(い)でと下へ呼ばれ...
徳田秋声 「縮図」
...赤坂口と藤川口とが落合うあたりの辻のところで...
中里介山 「大菩薩峠」
...昨日の藤川河原の立者(たてもの)の再現であることをお角は見誤りません...
中里介山 「大菩薩峠」
...赤坂を越えて藤川河原の相撲場の喧嘩は...
中里介山 「大菩薩峠」
...この界隈すなわち――京極の故城址上平寺(かみひらでら)を中心にして、左に藤川、右は例の弥高(いやたか)から姉川にかけての小高い地点、土地の人が称して「お城跡」という部分の広大な地所内を、お銀様が我物顔に、この驕慢(きょうまん)な歩みぶりを以てみれば、この辺一帯の地は、まさしくこの人の所有権内にうつり、そうしてお城あとの中の「江北殿(こうほくどの)」と呼ばれている部分の修補と復興が、これから女王の宮殿となり、新理想境の本山となろうとするものであるらしい...
中里介山 「大菩薩峠」
...「のどか」で藤川の豆腐屋が...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...宿藤川駅...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...翁の談話中に多年巴里(パリイ)に学んで居る彫塑家藤川勇造君の製作を近頃観たと云つて激賞して居た...
與謝野寛、與謝野晶子 「巴里より」
...彼は藤川の高地に床几(しょうぎ)をすえ...
吉川英治 「私本太平記」
...「二十人は、垂井(たるい)、関ヶ原、藤川、馬上(まけ)、長浜のあいだ、行く先々の村民に触れて、日暮れなば、松明(たいまつ)を道々に灯(とも)しおくこと...
吉川英治 「新書太閤記」
...三州額田郷(ぬかだごう)藤川の宿場と...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...この藤川の宿場へは...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
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