...薨去(こうきょ)の年の夏...
谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」
...釋詁が終也を以て終らないで其の次に崩薨無禄卒徂落殪死也を以て終つてゐることである...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...これから生ずる疑問は釋詁篇が最初に出來た時は崩薨無禄卒徂落殪死也の一節が未だ無かつたのみならず...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...皇后日葉酢媛命(ひはすひめのみこと)が薨去せられた折に...
中山太郎 「本朝変態葬礼史」
...その翌年父公保が六十三歳で薨じた...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...「……ステファン五世王が二月二十五日にお薨れになったので...
久生十蘭 「墓地展望亭」
...今日は西園寺公薨去のため中止...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...太閤薨(こう)じ...
正岡子規 「古池の句の弁」
...姫悔いて箸(はし)で陰(ほと)を撞(つ)いて薨(こう)じ...
南方熊楠 「十二支考」
...式部卿(しきぶきょう)の宮がお薨(かく)れになって何ほどの時がたっているのでもないが...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...「兵部卿の宮がお薨(かく)れになって間もなく...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...こちらの大臣がお薨(かく)れにならなければ...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...この時分に式部卿(しきぶきょう)の宮と言われておいでになった親王もお薨(かく)れになったので...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...八日には忽(たちま)ち薨去(こうきょ)の公報が発せられ...
森鴎外 「渋江抽斎」
...この年月日(ねんげつじつ)は家定が薨(こう)じてから四月(しげつ)の後(のち)である...
森鴎外 「渋江抽斎」
...三代肅公綱條(しゆくこうつなえだ)は享保三年に薨じた...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...御父邦家親王薨ぜさせ給ふ...
森鴎外 「能久親王年譜」
...御母鷹司氏景子薨ぜさせ給ふ...
森鴎外 「能久親王年譜」
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