...二月廿五日太宰府に薨(こう)じ玉へり...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...廿八日、乙巳、相模国相漠河の橋数ヶ間朽ち損ず、修理を加へらる可きの由、義村之を申す、相州、広元朝臣、善信の如き群議有り、去る建久九年、重成法師之を新造して供養を遂ぐるの日、結縁の為に、故将軍家渡御、還路に及びて御落馬有り、幾程を経ずして薨じ給ひ畢んぬ、重成法師又殃に逢ふ、旁吉事に非ず、今更強ち再興有らずと雖も、何事の有らんやの趣、一同するの旨、御前に申すの処、仰せて云ふ、故将軍の薨去は、武家の権柄を執ること二十年、官位を極めしめ給ふ後の御事なり、重成法師は、己の不義に依りて、天譴を蒙るか、全く橋建立の過に非ず、此上は一切不吉と称す可からず、彼橋有ること、二所御参詣の要路として、民庶往反の煩無し、其利一に非ず、顛倒せざる以前に、早く修復を加ふ可きの旨、仰出さると云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...右府将軍すでに薨じ給ひぬ...
太宰治 「右大臣実朝」
...そのうち家茂将軍は薨去せられるし...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...鳥の薨去(こうきょ)を...
夏目漱石 「吾輩は猫である」
...その翌年父公保が六十三歳で薨じた...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...されば宗祇もその殊遇に感じ、将軍薨去の後、延徳二年三月に、故将軍すなわち常徳院殿のため、四要品を摺写し、十人ほどに勧誘して、和歌を詠ぜしめ、これを講じたことがあって、その時には実隆もその経の裏に歌を書いてやったとのことだ...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...先王ステファン五世の薨去の間もなく起こりうる政変といえば...
久生十蘭 「墓地展望亭」
...父帝の手にかかつて薨じたイワン皇子の冥福祈願のため...
ニコライ・ゴーゴリ Nikolai Vasilievitch Gogoli 平井肇訳 「ディカーニカ近郷夜話 後篇」
...由って女も慙じて自ら陰を撞いて薨ずとあるを...
南方熊楠 「十二支考」
...この時分に太政大臣が薨去(こうきょ)した...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...「宮様はこの夜中ごろにお薨(かく)れになりました」と泣く泣く伝えた...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...将軍家茂の大坂城に薨じた後三日である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...八日には忽(たちま)ち薨去(こうきょ)の公報が発せられ...
森鴎外 「渋江抽斎」
...薨ずる時三十五歳であった...
森鴎外 「渋江抽斎」
...帝(みかど)出奔(しゅっぽん)して馬嵬(ばかい)に薨(こう)ず...
夢野久作 「ドグラ・マグラ」
...家康が薨(こう)じてのちは...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...敵の流れ矢に中(あた)って薨(こう)ぜられてしまわれた...
吉川英治 「源頼朝」
便利!手書き漢字入力検索