...蒲郡(がまごおり)...
高浜虚子 「五百五十句」
...三人が蒲郡(がまごおり)まで送って行こうと云うことになったので...
谷崎潤一郎 「細雪」
...蒲郡で東西に別れてその日のうちに帰宅し...
谷崎潤一郎 「細雪」
...蒲郡に遊ぶのは初めてであったが...
谷崎潤一郎 「細雪」
...今日の彼女達の蒲郡行きは...
谷崎潤一郎 「細雪」
...午後二時過ぎに蒲郡の駅へ行き...
谷崎潤一郎 「細雪」
...その指している方向は三河蒲郡(みかわがまごおり)か...
中里介山 「大菩薩峠」
...それで、蒲郡とも言わず、伊良湖崎(いらこざき)とも言わずに、肥後の熊本と呼びかけたのは、つまりこの尾張名古屋の城は名古屋の城であっても、現に自分が雲を踏むような心持で登臨しているこの天守閣は、肥後の熊本の加藤肥後守清正が、一世一代のつもりで、一手で築き上げたものだというその知識が絶えず頭にあるから、そこで、ついつい、肥後の熊本が飛び出したものであろうと思われます...
中里介山 「大菩薩峠」
...ことさらに浜名の橋の上をのみ一人渡るにあらねどもわれ十年の秋蒲郡に遊んだ作者は...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...ダラ/″\汽車で蒲郡へ向ふ...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...蒲郡観光ホテルへ...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...下呂と蒲郡とではむろんそれ/″\違ふが蒲郡がいゝ...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...蒲郡の常盤館は相当なものである...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...下呂は夏のところ、蒲郡は冬、それも正月家族連れに限る...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...今日で蒲郡も引きあげ...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...蒲郡(がまごおり))を根拠地としていたということは...
吉川英治 「随筆 新平家」
...三河の蒲形(蒲郡)は...
吉川英治 「随筆 新平家」
...三河蒲郡の居城をもったことが証明されているわけであります...
吉川英治 「随筆 新平家」
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