...僕の茂吉を好んだのも畢竟(ひつきやう)この故ではなかつたのであらうか?あが母の吾(あ)を生ましけむうらわかきかなしき力おもはざらめや菲才(ひさい)なる僕も時々は僕を生んだ母の力を...
芥川龍之介 「僻見」
...貧窮(ひんきゅう)、病弱(びょうじゃく)、菲才(ひさい)、双肩(そうけん)を圧し来って、ややもすれば我れをして後(しり)えに瞠若(どうじゃく)たらしめんとすといえども、我れあえて心裡の牙兵を叱咤(しった)して死戦することを恐れじ...
有島武郎 「星座」
...達摩(だるま)の蒐集家(しゅうしゅうか)として奇名隠れなかった理学士西芳菲山人の名が見える...
内田魯庵 「硯友社の勃興と道程」
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関寛 「関牧塲創業記事」
...(十五日)▼芳菲山人(ほうひさんじん)より来書...
高浜虚子 「子規居士と余」
...年少菲才(ひさい)の身をもって事にあたったので...
豊島与志雄 「レ・ミゼラブル」
...金殿玉楼(きんでんぎょくろう)その影を緑波(りょくは)に流す処春風(しゅんぷう)に柳絮(りゅうじょ)は雪と飛び黄葉(こうよう)は秋風(しゅうふう)に菲々(ひひ)として舞うさまを想見(おもいみ)れば宛(さなが)ら青貝の屏風(びょうぶ)七宝(しっぽう)の古陶器を見る如き色彩の眩惑を覚ゆる...
永井荷風 「日和下駄」
...されば菲才僕の如きものが...
永井荷風 「申訳」
...無能菲才の屡重用せられしを以て...
原勝郎 「貢院の春」
...斯ほどにも菲薄な望みが...
牧野信一 「冬の風鈴」
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正岡子規 「病牀六尺」
...(九月十五日)百二十七○芳菲山人(ほうひさんじん)より来書拝啓昨今御病床六尺の記二...
正岡子規 「病牀六尺」
...菲才(ひさい)をもって...
吉川英治 「三国志」
...どうして菲才(ひさい)玄徳ごときに...
吉川英治 「三国志」
...宜しくみだりに自ら菲薄(ひはく)し...
吉川英治 「三国志」
...菲才にして懶惰(らんだ)...
吉川英治 「親鸞」
...水戸家だけでも菲才(ひさい)には重荷にすぎる身を...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...またわが徳の菲薄なるによれば...
吉田松陰 「留魂録」
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