...詩文は菅家文草十二巻同後草一巻(後草は筑紫にての御作なり)今も世に伝ふ...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...大納言公任卿(きんとうきやう)が朗詠集(らうえいしふ)に入れられたる菅家の詩に「送ルハレ春ヲ不レ用ヒレ動スコトヲ二舟車ヲ一唯別ル三残鴬ト与トニ二落花一若(モシ)使シテ二韶光ヲ一知ラシメバ二我ガ意ヲ一今※旅宿在ン二詩家ニ一」此御作は 延喜帝いまだ東宮(とうぐう)たりし時令旨(れいし)ありて一時(ひとゝき)の間に十首の詩を作り玉ひたる其一ツなり...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...是より前の御詩文を菅家文草といひ(十二巻)左遷より後のを菅家後草とて(一巻)今も世につたふ...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...(菅家聖伝暦といふ書の附録に...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...○日本紀略(きりやく)(抄録に巻序を失意せり)○扶桑略記(ふさうりやくき)(巻卅三)〇日本史(し)(百卅三)の列伝(れつでん)(五十九)〇菅家御伝記(神統(かみのみすゑ)菅原陳経(のぶつね)朝臣御作正史によられたれば証とすべし)其余(そのよ)虚実(きよじつ)混合(こんがふ)したる古今の書籍(しよじやく)枚挙(まいきよ)すべからず...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...「菅家(くわんけ)...
薄田泣菫 「茶話」
...博士は「菅家」といふ名前までも数(よ)み込んでゐたのだから...
薄田泣菫 「茶話」
...愈々(いよ/\)名妓八千代が菅家(すがけ)へ輿入(こしいれ)のその当日...
薄田泣菫 「茶話」
...一、小林民部いう、京師の学習院は定日ありて、百姓町人に至るまで出席して講釈を聴聞することを許さる、講日には公卿方出坐にて、講師菅家、清家及び地下(じげ)の儒者相混ずるなり...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...從來の學問といふものは清家とか菅家とかいふ風に相傳の學問をする人に限られて居つたが...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...おまけに在数は当時あたかも菅家一門の公卿の長者であった...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...そこで菅家の連中が承知せぬ...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...菅家以外の公卿も多くは九条家に同情しなかった...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...「この度は幣もとりあへず手向山」とよんだ菅家より...
別所梅之助 「石を積む」
...菅家紋(かんけもん)といわれる梅鉢であった...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...わずかな菅家(かんけ)の荘園があった...
吉川英治 「平の将門」
...そなたは菅家の内室であるぞ」「……はい」政子は...
吉川英治 「源頼朝」
...講師菅家・清家および地下(ぢげ)の儒者あひ混ずるなり...
吉田松陰 「留魂録」
便利!手書き漢字入力検索