...恐らくは何の出發點をも與へることが出來まい...
阿部次郎 「三太郎の日記 第三」
...些と校長に横眼を與(く)れた...
石川啄木 「足跡」
...みんなそれに生氣を與へてゐる靈と一緒に拔け出してしまつたのだ...
ロバート・ルイス・スティーヴンソン 佐藤緑葉訳 「醫師と旅行鞄の話」
...落ちついた氣分を學者に與へる餘裕が無い爲でもあらう...
橘樸 「支那を識るの途」
...其の黨與を挈けて伊藤内閣と結托し...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...與吉(よきち)が抑(おさ)へようとする時(とき)鷄(にはとり)がひよつと來(き)て嘴(くちばし)で啄(つゝ)いて駈(か)けて行(い)つて畢(しま)ふ...
長塚節 「土」
...それから三年目(ねんめ)の盆(ぼん)の時(とき)でも家(いへ)は空洞(からり)と清潔(きれい)に成(な)つて居(ゐ)てそれほど汚穢(むさ)い感(かん)じは與(あた)へられなかつた...
長塚節 「土」
...與吉(よきち)の横頬(よこほゝ)は皮膚(ひふ)が僅(わづか)に水疱(すゐはう)を生(しやう)じて膨(ふく)れて居(ゐ)た...
長塚節 「土」
...話はお好きだし、御記憶は生き生きしてゐるし、御藏橋の近くで齋藤緑雨の死を思ひ出されて、明治三十七年の十一月の或るうそ寒い夕方、幸田露伴、與謝野寛、戸川秋骨の諸氏とみすぼらしい座棺のあとに從ひながら、三河島火葬場へ向ふべく同勢わづか七八人でその御藏橋を渡つて行つたといふお話などは、殊更に自分の胸を強く打つものがあつた...
南部修太郎 「日曜日から日曜日まで」
...お曾與さんを殺したのが...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...どうも」「與之松はお北と言ひ交して居たかどうかわからないが...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...現場を見て來た與吉に訊いて下さい...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...哲學的練習をなすもののみに與へられる解脱を意味し...
波多野精一 「時と永遠」
...身體が來るべき完全なる永遠的存在に與かるか否かは第一義的重要性をもつ問題ではなくなる...
波多野精一 「時と永遠」
...此の傳授に與つた荀子の師及び荀子の弟子の名も幾分は判つて居る...
服部宇之吉 「荀子解題」
...與田先生の御主人から送つて來た猿が...
林芙美子 「婚期」
...この事は私に消し難い印象を與へた...
堀辰雄 「(アンデルゼンの「即興詩人」)」
...彼にも休息が與へられた...
三好達治 「艸千里」
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