...この吾妻橋から柳島へ至る電車道は前後に二三度しか通つた覚えはない...
芥川龍之介 「本所両国」
...然し今日に至るまでには種々の苦労がありました...
上村松園 「今日になるまで」
...二十四年の質問から今日に至るまでの経緯を縷々と語り出した...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...――船では、定刻を報ずるに、零時半に時鐘を一点打ち、二時に二点打ち、以下半時間毎に一点ずつ加えて打ち、八点に至ると、当直の交代時間となり、また一点に返るのである...
スティーブンソン Stevenson Robert Louis 佐々木直次郎訳 「宝島」
...若き燕を至るところで拵えるというような評判によってのみ世間へ紹介された...
辻潤 「ふもれすく」
...天保より明治子規に至るいわゆる月並み宗匠流の俳諧は最も低級なる川柳よりもさらに常套的(じょうとうてき)であり無風雅であり不真実であり...
寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
...そして更に唯物史観にさえ至る種類の科学的歴史観の先駆者の一人であるが...
戸坂潤 「日本イデオロギー論」
...如何にして社会的に発生し通用の権利を獲得するに至るかを説くのだ...
戸坂潤 「認識論とは何か」
...至る処に夥しくあるであろう...
豊島与志雄 「文学への実感について」
...彼が至る所に容れられぬのは...
夏目漱石 「野分」
...潜水着の至るところには大きな襞(ひだ)が作られ...
久生十蘭 「ノンシャラン道中記」
...西はリガから東はカムチャツカの涯(はて)に至るまで...
ニコライ・ゴーゴリ 平井肇訳 「鼻」
...フッサールの現象学などからバルトの弁証法的神学などに至るまで...
三木清 「西田先生のことども」
...その頃百また二百虎群を成して広東より海関に至る...
南方熊楠 「十二支考」
...さればしばしば子を抱き過ぎて窒息せしむるに至る...
南方熊楠 「十二支考」
...既に実情を知られた上は久しく駐(とど)まるべきでないから別れよう、しかるに汝に知らさにゃならぬ一事あり、前日汝の父の冤家が、冥王庁へ汝の父にその孫や兄弟を食われたと訴え出たが、われ汝と縁厚きによりすみやかに裁断せず、冥王これを怒って我を笞(むち)うつ事一百、それより背が痛んでならぬ、さて只今王が汝の父を喚(よ)び寄せ、自ら訊問し判して死籍に入れるところだから、汝急いで家に帰れ、さて父がまだ息(いき)しいたら救い得る故、清酒、鹿脯(ろくほ)を供えて我を祭り、我名を三度呼べ、我必ず至るべし...
南方熊楠 「十二支考」
...上古典的なものから下土俗的なものに至るまで...
柳宗悦 「民藝四十年」
...微妙な割合を以て両端に至るほど狭まつてゐるのである...
和辻哲郎 「西の京の思ひ出」
便利!手書き漢字入力検索