...佗助椿は加藤肥後守が朝鮮から持帰つて...
薄田泣菫 「独楽園」
...侘助椿は加藤肥後守(ひごのかみ)が朝鮮から持ち帰つて...
薄田泣菫 「侘助椿」
...肥後守は侘助椿のほかにも...
薄田泣菫 「侘助椿」
...彼が勅許(ちょっきょ)を経ずして米国仮条約に調印したるが如きは、開国に向って大歩急転したる偉業にして、彼が開国家としての功徳頌(しょう)すべきもの浅からずといえども、これ彼が自動的に然(しか)せしにあらず、従来の行懸(いきがか)りに迫られ、岩瀬肥後守、松平伊賀守の苦請に応じ、満腔徳川氏の威信を重んずるよりして、止(や)むを得ずここに至りしなり...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...三四寸の肥後守(ひごのかみ)の小刀(ナイフ)が握られてあった...
徳永直 「あまり者」
...この城を築き上げた加藤肥後守の態度もわからないものだ...
中里介山 「大菩薩峠」
...加藤肥後守清正の子孫をたずね出して...
中里介山 「大菩薩峠」
...銀杏加藤の家ではない、実は夫人の生家の方が、加藤肥後守の、現代に於てはいちばん血統に近い家柄であるということは、誰も言うことらしい...
中里介山 「大菩薩峠」
...最も由緒の正しい加藤肥後守の後裔(こうえい)は...
中里介山 「大菩薩峠」
...一時は黒谷(くろだに)の肥後守を訪れることがあった...
服部之総 「新撰組」
...だが彼らが肥後守と京都を後にした瞬間から...
服部之総 「新撰組」
...長州でも肥後守でもなく幕閣の秘密命令で一網打尽にされるには...
服部之総 「新撰組」
...かえって尊攘実現のため瘠(や)せる思いをしつつある松平肥後守以下京都における真正合体派の権力を...
服部之総 「新撰組」
...従四位下侍従(じじゅう)兼肥後守(ひごのかみ)にせられている...
森鴎外 「阿部一族」
...当代肥後守殿光尚(ひごのかみどのみつひさ)公の御代(みよ)と相成り候...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
...同肥後守光尚(みつひさ)殿御三方に候えば...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
...戸川肥後守を説かせ...
吉川英治 「新書太閤記」
...保科肥後守、同弾正、諏訪安芸守、平岩七之助、駒井右京など、二州の寄合衆に、浜松からは、井伊直政、城伊庵、玉虫二郎右衛門、矢代越中守などの諸将がそれに合流した...
吉川英治 「新書太閤記」
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