...肥後守は侘助椿のほかにも...
薄田泣菫 「侘助椿」
...なかにも加藤肥後守清正は...
中里介山 「大菩薩峠」
...加藤肥後守清正の子孫をたずね出して...
中里介山 「大菩薩峠」
...銀杏加藤の家ではない、実は夫人の生家の方が、加藤肥後守の、現代に於てはいちばん血統に近い家柄であるということは、誰も言うことらしい...
中里介山 「大菩薩峠」
...最も由緒の正しい加藤肥後守の後裔(こうえい)は...
中里介山 「大菩薩峠」
...肥後の熊本の加藤肥後守清正が...
中里介山 「大菩薩峠」
...一時は黒谷(くろだに)の肥後守を訪れることがあった...
服部之総 「新撰組」
...浪士の暴状にたまりかねた将軍後見職一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)が一網打尽的弾圧政策を肥後守に強要したのにたいして...
服部之総 「新撰組」
...警視総監としての肥後守をいっそう多忙ならせたではないか...
服部之総 「新撰組」
...時局収拾のため合体尊攘即行に望をかけた水戸派および肥後守のたてまえをそのまま表現したものだが...
服部之総 「新撰組」
...この日から松平肥後守は...
服部之総 「新撰組」
...かえって尊攘実現のため瘠(や)せる思いをしつつある松平肥後守以下京都における真正合体派の権力を...
服部之総 「新撰組」
...従四位下侍従兼肥後守光尚の家督相続が済んだ...
森鴎外 「阿部一族」
...同肥後守光尚(みつひさ)殿御三方に候えば...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
...千葉ノ介貞胤(さだたね)宇都宮公綱(きんつな)菊池肥後守武重大友左近将監塩冶(えんや)の判官高貞熱田ノ大宮司...
吉川英治 「私本太平記」
...菊池肥後守が脱走して逃げ...
吉川英治 「私本太平記」
...戸川肥後守を説かせ...
吉川英治 「新書太閤記」
...保科肥後守、同弾正、諏訪安芸守、平岩七之助、駒井右京など、二州の寄合衆に、浜松からは、井伊直政、城伊庵、玉虫二郎右衛門、矢代越中守などの諸将がそれに合流した...
吉川英治 「新書太閤記」
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