...佗助椿は加藤肥後守が朝鮮から持帰つて...
薄田泣菫 「独楽園」
...肥後守は佗助椿のほかにも...
薄田泣菫 「独楽園」
...こいつも肥後守ぢや...
薄田泣菫 「独楽園」
...肥後守が朝鮮から持ち帰つたのは...
薄田泣菫 「侘助椿」
...三四寸の肥後守(ひごのかみ)の小刀(ナイフ)が握られてあった...
徳永直 「あまり者」
...なかにも加藤肥後守清正は...
中里介山 「大菩薩峠」
...銀杏加藤の家ではない、実は夫人の生家の方が、加藤肥後守の、現代に於てはいちばん血統に近い家柄であるということは、誰も言うことらしい...
中里介山 「大菩薩峠」
...それは加藤肥後守清正である...
中里介山 「大菩薩峠」
...肥後の熊本の加藤肥後守清正が...
中里介山 「大菩薩峠」
...一時は黒谷(くろだに)の肥後守を訪れることがあった...
服部之総 「新撰組」
...警視総監としての肥後守をいっそう多忙ならせたではないか...
服部之総 「新撰組」
...肥後守へ上表して辞退した近藤勇署名の文中「全体私ども儀は尽忠報国の志士...
服部之総 「新撰組」
...守護職松平肥後守の故に...
服部之総 「新撰組」
...当代肥後守殿光尚(ひごのかみどのみつひさ)公の御代(みよ)と相成り候...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
...同肥後守光尚(みつひさ)殿御三方に候えば...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
...その後肥後守は御年三十一歳にて...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
...戸川肥後守を説かせ...
吉川英治 「新書太閤記」
...保科肥後守、同弾正、諏訪安芸守、平岩七之助、駒井右京など、二州の寄合衆に、浜松からは、井伊直政、城伊庵、玉虫二郎右衛門、矢代越中守などの諸将がそれに合流した...
吉川英治 「新書太閤記」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??