...佗助椿は加藤肥後守が朝鮮から持帰つて...
薄田泣菫 「独楽園」
...肥後守が朝鮮から持帰つたのは...
薄田泣菫 「独楽園」
...こいつも肥後守ぢや...
薄田泣菫 「独楽園」
...彼が勅許(ちょっきょ)を経ずして米国仮条約に調印したるが如きは、開国に向って大歩急転したる偉業にして、彼が開国家としての功徳頌(しょう)すべきもの浅からずといえども、これ彼が自動的に然(しか)せしにあらず、従来の行懸(いきがか)りに迫られ、岩瀬肥後守、松平伊賀守の苦請に応じ、満腔徳川氏の威信を重んずるよりして、止(や)むを得ずここに至りしなり...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...三四寸の肥後守(ひごのかみ)の小刀(ナイフ)が握られてあった...
徳永直 「あまり者」
...加藤肥後守清正の子孫をたずね出して...
中里介山 「大菩薩峠」
...最も由緒の正しい加藤肥後守の後裔(こうえい)は...
中里介山 「大菩薩峠」
...守護職松平肥後守は...
服部之総 「新撰組」
...松平肥後守の手文庫のなかには...
服部之総 「新撰組」
...わが肥後守はもう握手させることができなかったではないか...
服部之総 「新撰組」
...警視総監としての肥後守をいっそう多忙ならせたではないか...
服部之総 「新撰組」
...だが彼らが肥後守と京都を後にした瞬間から...
服部之総 「新撰組」
...守護職肥後守の管轄に属し...
服部之総 「新撰組」
...時局収拾のため合体尊攘即行に望をかけた水戸派および肥後守のたてまえをそのまま表現したものだが...
服部之総 「新撰組」
...肥後守へ上表して辞退した近藤勇署名の文中「全体私ども儀は尽忠報国の志士...
服部之総 「新撰組」
...一七三二年版チャーチルの『航記紀行集函(ア・コレクション・オヴ・ヴォエイジス・エンド・トラヴェルス)』巻一に収めたる元和寛永頃カンジズス輯録『日本強帝国摘記(サム・キュリアス・リマークス・オヴ・ジャパン)』にカットフィンゴノカミ(加藤肥後守...
南方熊楠 「十二支考」
...同肥後守光尚(みつひさ)殿御三方に候えば...
森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
...保科肥後守、同弾正、諏訪安芸守、平岩七之助、駒井右京など、二州の寄合衆に、浜松からは、井伊直政、城伊庵、玉虫二郎右衛門、矢代越中守などの諸将がそれに合流した...
吉川英治 「新書太閤記」
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