...美妙は実に純文学を代表して耆宿(きしゅく)依田百川(よだひゃくせん)と共に最始の少数集団に加(くわわ)っていたので...
内田魯庵 「美妙斎美妙」
...中國第一の高山は伯耆なる大山の五千六百五十三尺...
大町桂月 「一萬尺の山嶽」
...「伯耆国は淀江村の百姓...
太宰治 「黄村先生言行録」
...伯耆(ほうき)の安綱の刀を持って出て行方(ゆくえ)知れずになった幸内が...
中里介山 「大菩薩峠」
...眼の前に突きつけられた伯耆の安綱の刀に...
中里介山 「大菩薩峠」
......
橋本進吉 「国語音韻の変遷」
...しかし因幡や伯耆に眞宗が殆ど入らなかつたのは...
原勝郎 「鎌倉時代の布教と當時の交通」
...私は伯耆の米子へ興行で行つた時...
松本幸四郎 「大森彦七と名和長年」
...此辺酸棗木(さんさうぼく)(小なつめ)蔓生の黄耆(わうぎ)(やはら草)多し...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...伯耆国(ほうきのくに)のある村では...
柳田國男 「日本の伝説」
...しかも播磨路(はりまじ)からは、備中(びっちゅう)、美作(みまさか)、伯耆(ほうき)、出雲(いずも)、ほとんどが峠や九十九折(つづらおり)の山旅にござりまする...
吉川英治 「私本太平記」
...伯耆(ほうき)大山(だいせん)以後の後醍醐軍のうごきなどまで...
吉川英治 「私本太平記」
...自分は因幡(いなば)、伯耆(ほうき)、出雲(いずも)、石見(いわみ)の兵をひきい、行く行く丹波、但馬(たじま)の兵も合して、一挙、京畿(けいき)に進み、本願寺と呼応して直ちに、信長の本拠安土を衝(つ)こう」こういう大胆な策を立てたものは、吉川元春(きっかわもとはる)だった...
吉川英治 「新書太閤記」
...伯耆守に同心の者もだいぶあり...
吉川英治 「新書太閤記」
...伯耆(ほうき)どのにいたっては――)と...
吉川英治 「新書太閤記」
...片山伯耆守久安(ほうきのかみひさやす)の秘奥をきわめて...
吉川英治 「宮本武蔵」
...ほとけ王舎城の耆闍崛(ぎしゃくつ)山中に菩薩...
吉川英治 「宮本武蔵」
...三箇(さんが)の伯耆殿...
和辻哲郎 「鎖国」
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