...その翌々年の明治二十五年にも同じ題材...
上村松園 「最初の出品画」
...翌々年は肥料を施すことがいらない...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...その翌々年も、代参ばかりで御自身のおいではございませんでした...
太宰治 「右大臣実朝」
...翌々年の七月には...
太宰治 「右大臣実朝」
...これを翌々年初めて「グレイト・ウェスタン・レイルウェー」〔汽車〕に用いたれども...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...その翌々年八月に大風があって...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...「計画(プラン)・Л(エル)」の「北極洋冬季航路開発」のほうはどうだったかというと、モスクワ科学アカデミー、地理学研究所の地質学部長エス・エル・カルピンスキー博士によって、五十七名よりなる調査隊が組織され、一九三五年三月にモスクワを出発、インジギルカの河口のクスムトエイに根拠地をおいて、翌々年、一九三七年の秋まで、足かけ三カ年にわたって、タイミル半島のベキチェフ港とカムチャッカ県の北マリインスク港を結ぶ一万露里(ベスター)の航路調査に従ったが、三六―三七年の大寒波襲来に遭い、予定の二十パーセントの効果をもあげることができず、調査としては、なんら見るものもなくモスクワに帰着した...
久生十蘭 「地底獣国」
...祖母の亡(なく)なった翌々年(よくよくとし)の...
二葉亭四迷 「平凡」
...翌々年、一九一六年の五月まで、二年間開かずの家である...
牧逸馬 「生きている戦死者」
...小助六、やがて古今亭しん馬に、金原亭馬生に、晩年は師匠助六の隠居名古今亭しん生の名を襲って、震災の翌々年、惜しくも逝いた...
正岡容 「寄席」
...その翌々年の春あたり...
正岡容 「わが寄席青春録」
...私はその頃関西には漫談も新落語(小春團治君の救世軍の落語がアッピールしたのはこの「ハムレット」吹き込みの翌々年あたりである)もなかった頃のこととて...
正岡容 「わが寄席青春録」
...件(くだん)の竜葬洲は今日古巨獣の化石多く出す南濠州の泥湖様の処で、竜が雲雨を興す所皆竜骨ありとは、偉大の化石動物多き地を毎度風雨で洗い落して夥しく化石を露出するを竜が骨を蛻(ぬぎか)え風雨を起して去ると信じたので、原因と結果を転倒した誤解じゃ、『拾遺記』や『述異記』は法螺(ほら)ばかりの書と心得た人多いが、この記事などは実話たる事疑いなし、わが邦にも『雲根志(うんこんし)』に宝暦六年美濃巨勢村の山雨のために大崩れし、方一丈ばかりな竜の首半ば開いた口へ五、六人も入り得べきが現われ、枝ある角二つ生え歯黒く光り大きさ飯器のごとし、近村の百姓怖れて近づかず耕作する者なし、翌々年一、二ヶ村言い合せ斧鍬など携えて恐る恐る往き見れば石なり、因って打ち砕く、その歯二枚を見るに石にして実に歯なり、その地を掘れば巨大なる骨様の白石多く出(い)づと三宅某の直話(じきわ)を載せ居る、古来支那で竜骨というもの爬虫類に限らず、もとより化石学の素養もなき者が犀象その他偉大な遺骨をすべてかく呼ぶので(バルフォール『印度事彙』一巻九七八頁)、讃岐小豆島の竜骨は牛属の骨化石と聞いた...
南方熊楠 「十二支考」
...江戸へ戻ったのは翌々年の三月であった...
山本周五郎 「桑の木物語」
...翌々年の秋の末、新五兵衛がとつぜん病歿(びょうぼつ)した...
山本周五郎 「日本婦道記」
...ついで、翌々年も、数回にわたる交易がおこなわれ、海の彼方の文物が、俄に、都下をいろどりだした...
吉川英治 「私本太平記」
...翌々年の寛永二十年...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...翌々年には改正して発布されたが...
和辻哲郎 「鎖国」
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