...その翌々年の明治二十五年にも同じ題材...
上村松園 「最初の出品画」
...その翌々年も、代参ばかりで御自身のおいではございませんでした...
太宰治 「右大臣実朝」
...オリムピックの翌々年の春でした...
田中英光 「オリンポスの果実」
...「日露修好條約」の成立した翌々年安政二年春まで...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...妻を失つた翌々年自分も到頭夭死をしたが...
内藤湖南 「藏書家の話」
...その翌々年―一八三〇年には...
野村胡堂 「楽聖物語」
...「計画(プラン)・Л(エル)」の「北極洋冬季航路開発」のほうはどうだったかというと、モスクワ科学アカデミー、地理学研究所の地質学部長エス・エル・カルピンスキー博士によって、五十七名よりなる調査隊が組織され、一九三五年三月にモスクワを出発、インジギルカの河口のクスムトエイに根拠地をおいて、翌々年、一九三七年の秋まで、足かけ三カ年にわたって、タイミル半島のベキチェフ港とカムチャッカ県の北マリインスク港を結ぶ一万露里(ベスター)の航路調査に従ったが、三六―三七年の大寒波襲来に遭い、予定の二十パーセントの効果をもあげることができず、調査としては、なんら見るものもなくモスクワに帰着した...
久生十蘭 「地底獣国」
...翌々年、一九一六年の五月まで、二年間開かずの家である...
牧逸馬 「生きている戦死者」
...件(くだん)の竜葬洲は今日古巨獣の化石多く出す南濠州の泥湖様の処で、竜が雲雨を興す所皆竜骨ありとは、偉大の化石動物多き地を毎度風雨で洗い落して夥しく化石を露出するを竜が骨を蛻(ぬぎか)え風雨を起して去ると信じたので、原因と結果を転倒した誤解じゃ、『拾遺記』や『述異記』は法螺(ほら)ばかりの書と心得た人多いが、この記事などは実話たる事疑いなし、わが邦にも『雲根志(うんこんし)』に宝暦六年美濃巨勢村の山雨のために大崩れし、方一丈ばかりな竜の首半ば開いた口へ五、六人も入り得べきが現われ、枝ある角二つ生え歯黒く光り大きさ飯器のごとし、近村の百姓怖れて近づかず耕作する者なし、翌々年一、二ヶ村言い合せ斧鍬など携えて恐る恐る往き見れば石なり、因って打ち砕く、その歯二枚を見るに石にして実に歯なり、その地を掘れば巨大なる骨様の白石多く出(い)づと三宅某の直話(じきわ)を載せ居る、古来支那で竜骨というもの爬虫類に限らず、もとより化石学の素養もなき者が犀象その他偉大な遺骨をすべてかく呼ぶので(バルフォール『印度事彙』一巻九七八頁)、讃岐小豆島の竜骨は牛属の骨化石と聞いた...
南方熊楠 「十二支考」
...翌々年の昭和二年には東隣の奥丹後半島の鯰が大いにあばれ...
武者金吉 「地震なまず」
...私が布川に移った翌々年のことである...
柳田国男 「故郷七十年」
...今では不幸のあった翌々年の盆まで...
柳田国男 「雪国の春」
...江戸へ戻ったのは翌々年の三月であった...
山本周五郎 「桑の木物語」
...終戰後の翌々年かと覺えてをります...
吉川英治 「折々の記」
...ついで、翌々年も、数回にわたる交易がおこなわれ、海の彼方の文物が、俄に、都下をいろどりだした...
吉川英治 「私本太平記」
...翌々年までへかけて...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...その翌々年にはモラーレスと共に真珠諸島を攻略して...
和辻哲郎 「鎖国」
...翌々年には改正して発布されたが...
和辻哲郎 「鎖国」
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