...』信吾は帰省の翌々日...
石川啄木 「鳥影」
...翌々年は肥料を施すことがいらない...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...東水の尾へ着いたのが翌々日の朝の九時頃でした...
橘外男 「墓が呼んでいる」
...オリムピックの翌々年の春でした...
田中英光 「オリンポスの果実」
...で、法事の翌々日、廿六日の昼に、亡き父母にゆかりのある播半(はりはん)の座敷を選び、貞之助にも遠慮して貰って、姉と自分たち三姉妹の外には富永の叔母とその娘の染子だけを招くことにした...
谷崎潤一郎 「細雪」
......
谷崎潤一郎 「春琴抄」
...――それから翌々日に...
ロマン・ローラン Romain Rolland 豊島与志雄訳 「ジャン・クリストフ」
...前段大菩薩峠の殺人の翌々日のことでありました...
中里介山 「大菩薩峠」
...翌日も翌々日も彼の姿は見あたらなかつた...
牧野信一 「奇友往来」
...件(くだん)の竜葬洲は今日古巨獣の化石多く出す南濠州の泥湖様の処で、竜が雲雨を興す所皆竜骨ありとは、偉大の化石動物多き地を毎度風雨で洗い落して夥しく化石を露出するを竜が骨を蛻(ぬぎか)え風雨を起して去ると信じたので、原因と結果を転倒した誤解じゃ、『拾遺記』や『述異記』は法螺(ほら)ばかりの書と心得た人多いが、この記事などは実話たる事疑いなし、わが邦にも『雲根志(うんこんし)』に宝暦六年美濃巨勢村の山雨のために大崩れし、方一丈ばかりな竜の首半ば開いた口へ五、六人も入り得べきが現われ、枝ある角二つ生え歯黒く光り大きさ飯器のごとし、近村の百姓怖れて近づかず耕作する者なし、翌々年一、二ヶ村言い合せ斧鍬など携えて恐る恐る往き見れば石なり、因って打ち砕く、その歯二枚を見るに石にして実に歯なり、その地を掘れば巨大なる骨様の白石多く出(い)づと三宅某の直話(じきわ)を載せ居る、古来支那で竜骨というもの爬虫類に限らず、もとより化石学の素養もなき者が犀象その他偉大な遺骨をすべてかく呼ぶので(バルフォール『印度事彙』一巻九七八頁)、讃岐小豆島の竜骨は牛属の骨化石と聞いた...
南方熊楠 「十二支考」
...熱は翌々日位でとれ...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...私が布川に移った翌々年のことである...
柳田国男 「故郷七十年」
...翌々日、鶴ヶ岡八幡へ参拝した...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...翌々年までへかけて...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...いつから、この京都においでなので」「お身が、豊田郷から、京都へ出た、翌々年のことさ...
吉川英治 「平の将門」
...翌々日の夕がたである...
吉川英治 「平の将門」
...二人は江戸へ帰って来た!すぐその翌々日は...
吉川英治 「牢獄の花嫁」
...――そしてすぐ翌日か翌々日には...
吉川英治 「忘れ残りの記」
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