...織田信長が足利義昭を奉じて京都を制圧すると、多くの外様衆が信長に味方しました...
...義昭將軍に謁見し...
原勝郎 「日本史上の奧州」
...将軍家義昭(よしあき)公の親書と...
吉川英治 「新書太閤記」
...将軍義昭を責めて...
吉川英治 「新書太閤記」
...本国寺には将軍の義昭(よしあき)がいたからである...
吉川英治 「新書太閤記」
...禁裡(きんり)御普請(ごふしん)の落成を拝し、その後、怠りがちの政務を視(み)、かたがた御機嫌をお伺いに」「いや、そうか」義昭は、すこし安心して、「このとおり身も健固、また、政務も滞(とどこお)りなく運んでおれば、そう心に懸けて、度々の上洛には及ばぬ...
吉川英治 「新書太閤記」
...義昭を楯(たて)として...
吉川英治 「新書太閤記」
...足利義昭(よしあき)...
吉川英治 「新書太閤記」
...義昭将軍への」「そうだ...
吉川英治 「新書太閤記」
...公方の義昭は、三井寺まで来て、信長を宥(なだ)め、和睦のとりなしに努めた...
吉川英治 「新書太閤記」
...信長が日ごろ義昭にいだいている不満...
吉川英治 「新書太閤記」
...義昭に十七ヵ条の返答を面詰(めんきつ)する適当な時節であった...
吉川英治 「新書太閤記」
...また、義昭を去って、姿をかくしている細川藤孝も、陣見舞に来て、「おそらく御自分の最後の日を、眼に見ぬうちは、将軍家の覚醒(かくせい)など、望み得ないことでしょう」と、嘆いた...
吉川英治 「新書太閤記」
...義昭の一子は、藤吉郎が警固して、河内(かわち)の若江(わかえ)の城へ送った...
吉川英治 「新書太閤記」
...そういう末期の人として、足利義昭などは、まだまだ人のよいほうといえよう...
吉川英治 「新書太閤記」
...義昭(よしあき)でも義景(よしかげ)でも...
吉川英治 「新書太閤記」
...信長は将軍義昭を立てて...
吉川英治 「日本名婦伝」
...信玄は義昭にあてて信長の罪五カ条を数えた意見書を送ったが...
和辻哲郎 「鎖国」
...出発のために将に馬に乗ろうとしていた義昭をとどめて...
和辻哲郎 「鎖国」
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