...織田信長が足利義昭を奉じて京都を制圧すると、多くの外様衆が信長に味方しました...
...綿打(わたうち)ノ入道(にゅうどう)義昭(ぎしょう)らの三隊が...
吉川英治 「私本太平記」
...京都の足利義昭(よしあき)将軍は...
吉川英治 「新書太閤記」
...将軍家義昭(よしあき)公の親書と...
吉川英治 「新書太閤記」
...寺を出て還俗(げんぞく)したばかりの若い義昭...
吉川英治 「新書太閤記」
...義昭は信長の気が知れなかった...
吉川英治 「新書太閤記」
...義昭は、かつて、信長の恩に感涙をながして、(おん身を、父とも思うぞ)とまで、いった人である...
吉川英治 「新書太閤記」
...将軍義昭(よしあき)のとりなしで...
吉川英治 「新書太閤記」
...「僭越(せんえつ)だ」義昭は充分に怒った...
吉川英治 「新書太閤記」
...四月の和談以後も、義昭のやり口は、ひとつとして反省されていなかったのである...
吉川英治 「新書太閤記」
...藤吉郎は義昭の子を...
吉川英治 「新書太閤記」
...義昭や義景などという修養のない若輩とは比較にならなかった...
吉川英治 「新書太閤記」
...足利義昭(よしあき)を追い...
吉川英治 「新書太閤記」
...「――お断りする」義昭は久しぶりに...
吉川英治 「新書太閤記」
...織田信長は足利義輝の弟義昭を擁して上京して来た...
和辻哲郎 「鎖国」
...彼は将軍義昭が信長の権力に対して不平を抱くのを利用し...
和辻哲郎 「鎖国」
...義昭に対しても温和な使者を送っておのれの娘を人質に出そうとさえもした...
和辻哲郎 「鎖国」
...信玄は義昭にあてて信長の罪五カ条を数えた意見書を送ったが...
和辻哲郎 「鎖国」
...義昭はこの後も本願寺や毛利の勢力に頼って信長に反抗し続けるのであるが...
和辻哲郎 「鎖国」
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