...夕照(ゆふばえ)は湖水に映じて纔(わづか)にゆくてに迷はざらしむ...
ハンス・クリスチアン・アンデルセン Hans Christian Andersen 森鴎外訳 「即興詩人」
...とうとう軍隊を繰出してその警護の下(もと)に纔(わず)かに選挙を終ったという有様である...
大隈重信 「選挙人に与う」
...纔(わず)かに築山(つきやま)の蔭に貧弱な芙蓉(ふよう)が咲いているのと...
谷崎潤一郎 「細雪」
...撫子(なでしこ)などが美しくその婉(しを)らしい影を涵(ひた)して居た纔(わづ)か三尺四方に過ぎぬ田池の有つた事を...
田山花袋 「重右衛門の最後」
...只纔に和蘭の學校讀本の中にチラホラ論じてあるより以上は知らなかつた...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...この老桜が纔(わずか)に災(わざわい)を免れて...
永井荷風 「葛飾土産」
...纔カニ獄中ノ鬼トナルヲ免レ...
成島柳北 「祭舌文」
...その磨滅した石の上に指先きでもつて纔かにその婦人の名前と年齡とを認めるのである...
堀辰雄 「或外國の公園で」
...隋書以下の志が方(まさ)に纔(わづか)に本草経を載せてゐる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...棠軒は九月二十四日に纔(わづか)に駿府より帰つたからである...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...竜池は将(まさ)に刑辟(けいへき)に触れむとして纔(わずか)に免れた...
森鴎外 「細木香以」
...この時に及んで纔(わずか)に行われたのである...
森鴎外 「渋江抽斎」
...纔(わづか)に三年の時は無残にも...
與謝野晶子 「晶子詩篇全集」
...新聞は支那の革命戦争の記事を小さく纔(わづか)二三行で済ませて居る...
與謝野寛、與謝野晶子 「巴里より」
...纔(わづか)に六畳と二畳とに過ぎない部屋は三面の鏡...
與謝野寛、與謝野晶子 「巴里より」
...此処(ここ)では産地が近くて税が軽いから纔(わづか)に二フラン五十の散財で快(い)い気持に酔ひ乍(なが)ら...
與謝野寛、與謝野晶子 「巴里より」
...(九月十六日)和蘭陀(ヲランダ)の二日(ふつか)和蘭陀(ヲランダ)はアムステルダムと海牙(ハアグ)との両都を纔(わづ)か二日(ふつか)で観て通つたに過ぎない...
與謝野寛、與謝野晶子 「巴里より」
...纔入城門身忽亡...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
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