...総軍を編成するための計画について話し合いました...
...戦後、総軍制度は廃止されました...
...総軍の指揮官が士気を高めるための演説を行った...
...総軍の出陣式が行われました...
...総軍を率いる将軍が指揮を執ることになりました...
...第一総軍が広島の第二総軍に命令しだしたら...
久生十蘭 「だいこん」
...クウ・デタの主謀者は少佐以下の少壮軍人で、中佐以上を老朽者として相手にせず、別働隊として憲兵隊を指揮下に置き、広島の第二総軍、大阪の第十五軍とも連繋をとり、一挙に事をあげる手筈になっているというすごいことだった...
久生十蘭 「だいこん」
...総軍の首将といただいて...
吉川英治 「三国志」
...総軍五百余騎をもって対峙(たいじ)した...
吉川英治 「三国志」
...総軍一手となって防ぐしかあるまい」と...
吉川英治 「三国志」
...夏侯惇を総軍の都督とし...
吉川英治 「三国志」
...三曹操はなおその総軍司令部を宛城(えんじょう)において...
吉川英治 「三国志」
...総軍みな荊州を捨てて柴桑(さいそう)まで引揚げろ...
吉川英治 「三国志」
...さらに総軍の後方目付を任じるなどの用意を見ても...
吉川英治 「私本太平記」
...信長の総軍二万三千...
吉川英治 「新書太閤記」
...総軍約三万は――かれの領する甲斐(かい)...
吉川英治 「新書太閤記」
...占領地の内政やら、城郭の大改築、軍の再整備などがすむと――七月の二十日、御著の官兵衛の麾下(きか)を誘い、総軍、因幡(いなば)、伯耆(ほうき)へ入った...
吉川英治 「新書太閤記」
...次に中軍がつづき、羽柴秀勝は、養父秀吉の旗本たちより二、三町先に立って行軍し、後陣には、秀吉の弟秀長が将として続き、総軍一万は、五段になって、姫路城外の印南野(いなみの)を立った...
吉川英治 「新書太閤記」
...これが総軍力とは...
吉川英治 「新書太閤記」
...総軍三万余と称された...
吉川英治 「新書太閤記」
...蒲生氏郷(がもううじさと)のふたりがせよ」ゆるぎ出した総軍六万余...
吉川英治 「新書太閤記」
...しかし鉾(ほこ)を転じた佐々の猛軍が、退却の途(みち)ついでに、万一、津幡(つばた)城を襲うおそれもあるので、かれは翌朝――半夜の快睡からさめるやいな、総軍をひきいて、同じ津幡街道を、南下した...
吉川英治 「新書太閤記」
...北京(ほっけい)総軍には...
吉川英治 「新・水滸伝」
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