...東芝の創業者は綱吉からおごそかに藩主より偏諱を与えられた...
...言うまでも無く護持院というのは、将軍綱吉の生母、桂昌院の帰依(きえ)を得た僧隆光の為に、元禄元年三月、神田橋外の地を相して建てた七堂伽藍で、その結構は眼を驚かすばかり、徳川最盛時の財力を傾けて建立(こんりゅう)しただけに、本堂の如きは、上野の寛永寺にもまさると言われた程です...
野村胡堂 「新奇談クラブ」
...綱吉に殺生(せっしょう)の禁を勧めて...
野村胡堂 「新奇談クラブ」
...綱吉がお常に巫山戯るのを見たことも...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...「綱吉兄哥が殺されたつてね...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...綱吉はやくざ者には相違ないが...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...鑿で綱吉を殺すような人間は...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...綱吉に怨みを持ちそうな人間――と言ったところで...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...一刀を引抜いて斬ってかかった綱吉は...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...獄門になった綱吉が...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...綱吉が武家法度(はっと)十五ヶ条で大名旗本が遊里に入ることを禁じてから...
久生十蘭 「鈴木主水」
...将軍綱吉は、柳沢吉保(よしやす)の邸の、宴遊に臨むはずであったが、城を出るまぎわになって、急に中止された...
山本周五郎 「山彦乙女」
...五代綱吉が、みずから悪法を作って、諸民に強(し)い、自身は、法の及ばない法以上の上に棲んで、十数年の長きに亙(わた)り、億生(おくしょう)の人々を苦しめた一世代の政罪は、年月のふるほど、慄然(りつぜん)たる結果を見せている...
吉川英治 「大岡越前」
...綱吉の“柳沢(やなぎさわ)お成(な)り”といって...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...戌年(いぬどし)生(うま)れの、将軍綱吉が、隆光や、桂昌院の献言をいれて、世の人間たちへ発令した、畜生保護令(ちくしょうほごれい)――いわゆる“生類(しょうるい)おんあわれみ”と称する稀代(きだい)な法律の厳行である...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...現代の綱吉将軍や大奥や佞臣閥(ねいしんばつ)や妖僧などのむらがりのように...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...宮は、将軍家と睦(むつ)まじい御仲(おんなか)であるので、式後、世間ばなしに刻(とき)を移されていると、綱吉が、嘆息して云うには、『およそ世に、天下の政事をとる身ほど、心苦しきものはありますまい...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...政治(まつりごと)を朝廷に回(かえ)し奉らんとする大それた陰謀の首魁であったと綱吉(つなよし)将軍の前へ...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...綱吉がいつまで、答えずにいると、「将軍職なるものは、そも、どなたからお授(さず)けをうけたものか...
吉川英治 「梅里先生行状記」
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