...菅虎雄(すがとらを)先生に字を書いて頂きこの茶箕(ちやみ)の窪んだ中へ「本是山中人(もとこれさんちうのひと)愛説山中話(とくことをあいすさんちうのわ)」と刻(きざ)ませることにした...
芥川龍之介 「身のまはり」
...茶箕の外(そと)には伊兵衛自身がいかにも素人(しろうと)の手に成つたらしい岩や水を刻(きざ)んでゐる...
芥川龍之介 「身のまはり」
...東を下町、一に閼伽井町と稱し、西を上町、一に箕輪と稱す...
大町桂月 「鹿野山」
...「箕面の話かい、それは...
薄田泣菫 「茶話」
...すぐ下の燈心草の作つてある水田で一人の百姓が泥を取つては箕に入れて居る...
高浜虚子 「斑鳩物語」
...」「紅葉見に行けへん?」「箕面(みのお)かいな...
谷崎潤一郎 「猫と庄造と二人のをんな」
...(三十七年一月)尾崎行雄尾崎行雄學堂の英雄崇拜博學多識の小野東洋早く歿し、敏警聰察なる藤田鳴鶴尋で逝き、俊邁明達の矢野龍溪は、中ごろ久しく政界と絶縁して、隈門の人才、爲めに人をして寂寞を感ぜしめ、今や世間島田沼南、犬養木堂、尾崎學堂を隈門の三傑といひ、而して學堂最も當世に稱せらる凡そ新進政治家にして學堂の如く顯著なる進歩を得たるものは、近來絶えて其比を見ず彼れは啻に沼南、木堂より遙に後輩なるのみならず、現今著名なる黨人中に在ては、彼れは最も年少なるものゝ一人にして、且つ其從來の經歴よりいへば、箕浦青洲、肥塚巴月等も皆彼れの先輩にして、彼れは僅に加藤城陽、角田竹冷等と略々伯仲の間に在りしものなり然るに今や彼れは多數の先輩を凌駕して、沼南、木堂と併び稱せられ、其名聲は却つて此二人の上に出でむとするは何ぞや...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...唐箕(とうみ)が穀粒を選(え)り分くるように...
ロマン・ローラン Romain Rolland 豊島与志雄訳 「ジャン・クリストフ」
...粉物を入れた箕(み)を小脇にし...
中里介山 「大菩薩峠」
...煙(けぶり)が餘所(よそ)へ逸(そ)れゝば箕(み)で煽(あふ)つて家(いへ)の内(うち)へ向(むか)はせた...
長塚節 「土」
...なお箕で獅子頭を作ることも...
中山太郎 「獅子舞雑考」
...江戸仕立のほうでは箕作阮甫...
久生十蘭 「玉取物語」
...この点においては箕作博士は我邦のベンサムである...
穂積陳重 「法窓夜話」
...箕を静かに傾けて...
三好十郎 「おりき」
...箕谷(きこく)と街亭の二要地へ大兵を配して...
吉川英治 「三国志」
...箕谷(きこく)の道で...
吉川英治 「三国志」
...箕作落城の報がはいった...
吉川英治 「新書太閤記」
...箕浦大内蔵(みのうらおおくら)...
吉川英治 「新書太閤記」
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