...彼女は筆記者として毎日新聞社で働いている...
...彼は筆記者に取材を受けたいと言った...
...筆記者になってから文字の書き方に詳しくなった...
...筆記者は座ったままで仕事ができるので、疲れにくい...
...次いで二月五日立春の日に村上辰雄君と宮崎泰二郎君と筆記者建宮君とが來訪し...
土井晩翠 「「晩翠放談」自序」
...ロイドの他にイソベルという一層叮嚀(ていねい)な筆記者が殖えたのは...
中島敦 「光と風と夢」
...青年は筆記者が自分の説を聴いて...
夏目漱石 「野分」
...先生の表現をそのまま保存してあるやうに思はれる部分もあれば全然筆記者の便宜から要領だけを書きつけた部分もあるらしい...
野上豐一郎 「「漱石のオセロ」はしがき」
...寧ろ筆記者はいかに夏目金之助氏の講義を聽いたかを示すものに過ぎないかも知れぬ...
野上豐一郎 「「漱石のオセロ」はしがき」
...筆記者に雇った蒲原房枝(かんばらふさえ)(後(のち)の夫人)と...
長谷川時雨 「遠藤(岩野)清子」
...福澤先生が筆記者に示されたるものを見るに...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...この談話の筆記者は当時「文章世界」の記者だつた前田晁氏である...
水野葉舟 「言文一致」
...筆記者がただ武蔵の武の字を冠して「武公伝」としておいたものだという...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...この書は、武蔵が晩年の骨を埋めた肥後の細川藩の士豊田又四郎が、武蔵の直話だとか、死後に整理した文書とか、門人の話などを抄篇したものだということになっているが、武蔵の死は正保二年であり、筆記者、豊田又四郎はそれから、百三年後の寛延元年に歿している人だから、おそらく嘘で、しかも又四郎の子彦兵衛、その子左近右衛門、三代の手を経て編纂(へんさん)されたものというから、愈、武蔵の直話などでないことは明らかで、ただ藩の人々に彼の父祖の話として伝えられたものが、武蔵の死後百年以上たってから、抄録の文書と共に著(あら)わされたものに違いなかろう...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
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