...笈摺岩、右に天を衝く...
大町桂月 「上州沼田より日光へ」
...一つとやあ柄杓(ひしゃく)に笈摺(おいずる)杖に笠巡礼姿で父母を尋ねようかいな二つとやあ二人で書いたる笠じるし一人は大慈の神だのみ――悲しいわいな三つとやあ三つの歳には捨てられてお父さんやお母さんの面(かお)知らず――つまり...
中里介山 「大菩薩峠」
...笈摺(おひずる)まで...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...笈摺(おいずる)まで...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...六部(ろくぶ)になった倉松さんの笈摺から...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...西國順禮、坂東順禮さては京順禮、江戸順禮など、それ/″\の處に定められたる觀音三十三所を巡拜するのだが足薪翁記には、昔京順禮江戸順禮といふことありときけり、是は富家の婦女又茶屋物風呂屋物などゝなへし賣女の類衣裝に伊達を盡くし、笈摺胸板をかけて、實の順禮の如くいでたち、洛陽三十三所の觀音へまうづるを宮順禮と云なり、江戸順禮も又是におなじ、此事亦大阪にもあり、といつて、例の古俳書其の他から優に旁證した上に、増補昔々物語の本文、寛文の頃順禮と號し、笈摺をかけ、江戸中の觀音へ參詣せし事夥敷風行しとかや、其後川口善光寺へも右のごとく參詣せしが、是は開帳の内ばかりの事にて、早速止たるなり...
三田村鳶魚 「女順禮」
...柳亭筆記上「順禮がるた考證」の條に、「京順禮といふは、衣裳にだてを作り、笈摺を絡ひ、胸札をかけ、實の順禮の如く出立ち、洛陽の觀音の靈場を打廻りし也」とあれば、拙文に棟札とせしは間違ひで胸札が正しい...
南方熊楠 「女順禮」
...泉先生の作品殊に「笈摺草紙(おひずるざうし)」が激稱してあつた...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...それを見て自分は初めて先生に「笈摺草紙」といふ作品のある事を知り...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...手垢で汚れた「笈摺草紙」の出て居る「文藝倶樂部」を見出した...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...けれども自分が久しく探し求めて居た「笈摺草紙」に對してはちつとも高いとも思はなかつた...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...「笈摺草紙」の十二錢は自分の主觀的價格からみればおい夫(それ)と支拂つて差支へないけれども...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...此の一册を手に入れなければ永久に「笈摺草紙」は手に入らないやうに思はれた...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...あんな奴がそれ程に「笈摺草紙」に焦れてゐるとは想像出來ないから...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...「笈摺草紙」を手に入れてから十年以上もたつてゐる今日に到つて...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...古びた笈摺(おいずり)の背縫(せぬい)と脇縫(わきぬい)が...
夢野久作 「笑う唖女」
...肩に笈摺(おいずる)の痕が見えぬ筈はない...
吉川英治 「剣難女難」
...床几(しょうぎ)の上にすえておいた地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の笈摺(おいずる)を...
吉川英治 「神州天馬侠」
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