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伊良子清白 「孔雀船」
...穆林(ぼくりん)のあたりへはいりこんだのである...
高見順 「いやな感じ」
...又提要に爾雅の出來たのは詩傳を作つた毛亨以後であるとし、大體小學家が舊文を綴輯し、遞に相増益したもので、周公孔子といふは皆依託の詞であると言つてゐるのは然るべきことであるが、揚雄の法言に爾雅を以て孔子の門徒が六藝を解釋したものとしてゐるのも、王充の論衡に爾雅は五經の訓詁であるといつてゐるのをも排して、爾雅の五經を釋するは十の三四にも及ばず、又專ら五經の爲めに作つたものでもないと言ひ、楚辭、莊子、列子、穆天子傳、管子、呂氏春秋、山海經、尸子、國語等と同じ語のあるのは盡く爾雅がこれらの書から取つたのであると解し、爾雅は本來方言急就の流であるが、説經家が古義を證するに都合がよい所から之を經部に列するに至つたに過ぎないといふやうに批判してゐる...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...汲冢の竹書――汲郡の塚から竹書紀年・穆天子傳などの書が出た...
内藤湖南 「支那目録學」
...鄭の穆公の女(むすめ)に当る...
中島敦 「妖氛録」
...秦の穆公の馬を野人取り食いしも公怒らず...
南方熊楠 「十二支考」
...穆公は雌ばかり獲たから伯になったのだ...
南方熊楠 「十二支考」
...観関壮穆像...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
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吉川英治 「三国志」
...穆順が内裏(だいり)を出て...
吉川英治 「三国志」
...弟を吉穆(きつぼく)という...
吉川英治 「三国志」
...吉も吉穆(きつぼく)も...
吉川英治 「三国志」
...「穆(ぼく)さんのご兄弟、おれたちが日頃よくはなしていた山東(さんとう)の及時雨(きゅうじう)、宋押司(そうおうし)さんがここに来ていらっしゃる! さあみんな、ごあいさつだ、ごあいさつだ」「なんだって?」穆(ぼく)とよばれたのは、宵に泊りかけた、地主の旧家、穆家の兄弟か...
吉川英治 「新・水滸伝」
...穆の息子はひっさげていた枇杷(びわ)の木の木剣をなげだして...
吉川英治 「新・水滸伝」
...穆家(ぼくけ)の宴で聞いた「潯陽江頭(じんようこうとう)……」の忘れがたい一曲など思い出して...
吉川英治 「新・水滸伝」
...穆の老父は、手をあげて迎えた...
吉川英治 「新・水滸伝」
...没遮(ぼつしゃらん)の穆弘(ぼくこう)とはおれのこった!」つづいて...
吉川英治 「新・水滸伝」
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吉川英治 「新・水滸伝」
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