例文・使い方一覧でみる「穆」の意味


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...又提要に爾雅の出來たのは詩傳を作つた毛亨以後であるとし、大體小學家が舊文を綴輯し、遞に相増益したもので、周公孔子といふは皆依託の詞であると言つてゐるのは然るべきことであるが、揚雄の法言に爾雅を以て孔子の門徒が六藝を解釋したものとしてゐるのも、王充の論衡に爾雅は五經の訓詁であるといつてゐるのをも排して、爾雅の五經を釋するは十の三四にも及ばず、又專ら五經の爲めに作つたものでもないと言ひ、楚辭、莊子、列子、天子傳、管子、呂氏春秋、山海經、尸子、國語等と同じ語のあるのは盡く爾雅がこれらの書から取つたのであると解し、爾雅は本來方言急就の流であるが、説經家が古義を證するに都合がよい所から之を經部に列するに至つたに過ぎないといふやうに批判してゐる...   又提要に爾雅の出來たのは詩傳を作つた毛亨以後であるとし、大體小學家が舊文を綴輯し、遞に相増益したもので、周公孔子といふは皆依託の詞であると言つてゐるのは然るべきことであるが、揚雄の法言に爾雅を以て孔子の門徒が六藝を解釋したものとしてゐるのも、王充の論衡に爾雅は五經の訓詁であるといつてゐるのをも排して、爾雅の五經を釋するは十の三四にも及ばず、又專ら五經の爲めに作つたものでもないと言ひ、楚辭、莊子、列子、穆天子傳、管子、呂氏春秋、山海經、尸子、國語等と同じ語のあるのは盡く爾雅がこれらの書から取つたのであると解し、爾雅は本來方言急就の流であるが、説經家が古義を證するに都合がよい所から之を經部に列するに至つたに過ぎないといふやうに批判してゐるの読み方
内藤湖南 「爾雅の新研究」

...曰はく禹稷皐陶三后佐唐虞、禹讓稷契及皐陶、堯舜之道、惟禹皐陶見而知之、此萬世所共聖、殷本紀述湯誥曰、古禹皐陶久勞於外、四涜已備、萬民乃有居、后稷降播農殖百穀、三公咸有功於民、故后有立、書序曰、皐陶矢厥謨、禹成厥功、帝舜申之、作大禹皐陶謨益稷、是三后自古論定、雖湯之興、不敢以契入三后而退皐陶也、乃甫刑忽易以伯夷降典折民爲刑、推爲三后、而皐陶不與、漢楊震孫賜遂以皐陶不與三后、恥拜廷尉之官、不知此甫刑之大繆也、堯時姜氏爲四伯、掌四嶽之祀、述諸侯之職、於周則有申甫齊許、(見高詩毛傳)國語史伯言姜爲伯夷之後、許爲大岳之胤、是甫侯之置皐陶進伯夷、代列三后者、私尊乃祖、假王命以寵先靈、王耄荒、誠哉其耄荒也、夫成天地之大功者、其子孫未嘗不淳耀惇大、唐虞夏商周而外、楚爲重黎祝融之後、贏爲伯益之後、而伯益實庭堅之子、禹薦益於天、孰謂大理官不列三后乎、史記秦之先始於大業、大業生大費、與禹平水土、大費佐舜調馴鳥獸、是爲柏翳、舜賜姓贏氏、索隱謂大業即皐陶、大費者伯益、即皐陶之子、又列女傳陶子生十五歳而佐禹、曹大家注、陶子即皐陶子伯益也、至皐陶之後、兼封英六、楚人滅六、臧文仲謂皐陶庭堅不祀忽諸者、猶周公之後自魯外、尚有凡蒋茅胙祭也、漢書古今人表只柏益一人、並無伯益柏翳分二人之説、甫侯自侈其家世、而天之所興、人力不與、伯夷姜氏之後、滅於陳田、卒不能與皐陶伯益爭衡、夫子以秦誓繼甫刑、知皐陶伯益之後、將繼稷契禹而代興也、惟王變而覇、道徳變而功利、此運會所趨、即祖宗亦不能聽其不自變、(書古微十一)魏源は禹稷皐陶を三后とすることが定論であるのに甫刑が皐陶を退けて伯夷を入れたのは不都合であると言ひ、それは王の時に甫侯が勝手なことをしたのだと論じてゐる...   曰はく禹稷皐陶三后佐唐虞、禹讓稷契及皐陶、堯舜之道、惟禹皐陶見而知之、此萬世所共聖、殷本紀述湯誥曰、古禹皐陶久勞於外、四涜已備、萬民乃有居、后稷降播農殖百穀、三公咸有功於民、故后有立、書序曰、皐陶矢厥謨、禹成厥功、帝舜申之、作大禹皐陶謨益稷、是三后自古論定、雖湯之興、不敢以契入三后而退皐陶也、乃甫刑忽易以伯夷降典折民爲刑、推爲三后、而皐陶不與、漢楊震孫賜遂以皐陶不與三后、恥拜廷尉之官、不知此甫刑之大繆也、堯時姜氏爲四伯、掌四嶽之祀、述諸侯之職、於周則有申甫齊許、國語史伯言姜爲伯夷之後、許爲大岳之胤、是甫侯之置皐陶進伯夷、代列三后者、私尊乃祖、假王命以寵先靈、穆王耄荒、誠哉其耄荒也、夫成天地之大功者、其子孫未嘗不淳耀惇大、唐虞夏商周而外、楚爲重黎祝融之後、贏爲伯益之後、而伯益實庭堅之子、禹薦益於天、孰謂大理官不列三后乎、史記秦之先始於大業、大業生大費、與禹平水土、大費佐舜調馴鳥獸、是爲柏翳、舜賜姓贏氏、索隱謂大業即皐陶、大費者伯益、即皐陶之子、又列女傳陶子生十五歳而佐禹、曹大家注、陶子即皐陶子伯益也、至皐陶之後、兼封英六、楚人滅六、臧文仲謂皐陶庭堅不祀忽諸者、猶周公之後自魯外、尚有凡蒋茅胙祭也、漢書古今人表只柏益一人、並無伯益柏翳分二人之説、甫侯自侈其家世、而天之所興、人力不與、伯夷姜氏之後、滅於陳田、卒不能與皐陶伯益爭衡、夫子以秦誓繼甫刑、知皐陶伯益之後、將繼稷契禹而代興也、惟王變而覇、道徳變而功利、此運會所趨、即祖宗亦不能聽其不自變、魏源は禹稷皐陶を三后とすることが定論であるのに甫刑が皐陶を退けて伯夷を入れたのは不都合であると言ひ、それは穆王の時に甫侯が勝手なことをしたのだと論じてゐるの読み方
内藤湖南 「尚書稽疑」

...午下中央公論社小瀧氏來話...   午下中央公論社小瀧穆氏來話の読み方
永井荷風 「荷風戰後日歴 第一」

...周の第五の主王五十三年壬申にあたれり...   周の第五の主穆王五十三年壬申にあたれりの読み方
三木清 「親鸞」

...公は雌ばかり獲たから伯になったのだ...   穆公は雌ばかり獲たから伯になったのだの読み方
南方熊楠 「十二支考」

...観関壮像...   観関壮穆像の読み方
森鴎外 「伊沢蘭軒」

...東は東支鉄道沿線の陵や磨刀石から...   東は東支鉄道沿線の穆陵や磨刀石からの読み方
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」

...その順の槍も、呂布と戦っては、苦もなく真二つにされてしまった...   その穆順の槍も、呂布と戦っては、苦もなく真二つにされてしまったの読み方
吉川英治 「三国志」

...呉郡の休(きゅうぼく)...   呉郡の休穆の読み方
吉川英治 「三国志」

...忠節無二な順は...   忠節無二な穆順はの読み方
吉川英治 「三国志」

...順がもどって来るのを待っていた...   穆順がもどって来るのを待っていたの読み方
吉川英治 「三国志」

...順はゾッとして毛孔(けあな)をよだてた...   穆順はゾッとして毛孔をよだてたの読み方
吉川英治 「三国志」

...順(ぼくじゅん)の捕われたことを覚られたからである...   穆順の捕われたことを覚られたからであるの読み方
吉川英治 「三国志」

...春(ぼくしゅん)...   穆春の読み方
吉川英治 「新・水滸伝」

...ひだりに弘(ぼくこう)...   ひだりに穆弘の読み方
吉川英治 「新・水滸伝」

...弘(ぼくこう)らも...   穆弘らもの読み方
吉川英治 「新・水滸伝」

...没遮(ぼつしゃらん)の弘(ぼくこう)とはおれのこった!」つづいて...   没遮の穆弘とはおれのこった!」つづいての読み方
吉川英治 「新・水滸伝」

...没遮(ぼつしゃらん)の弘(ぼくこう)と喚(おめ)く者...   没遮の穆弘と喚く者の読み方
吉川英治 「新・水滸伝」

「穆」の読みかた

「穆」の書き方・書き順

いろんなフォントで「穆」


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交わる   無効   大詔  

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