...エラー (「穂高岳」という熟語はありません...
...「どちらへお越しです?」槍とか穂高とかいうのなら即座に返答するのだが...
石川欣一 「山を思う」
...……もっとも、甲州から木曾街道、信州路を掛けちゃあ、麓(ふもと)の岐路(えだみち)を、天秤(てんびん)で、てくてくで、路傍(みちばた)の木の葉がね、あれ性(しょう)の、いい女の、ぽうとなって少し唇の乾いたという容子(ようす)で、へりを白くして、日向(ひなた)にほかほかしていて、草も乾燥(はしゃ)いで、足のうらが擽(くすぐ)ってえ、といった陽気でいながら、槍(やり)、穂高、大天井、やけに焼(やけ)ヶ嶽などという、大薩摩(おおざつま)でもの凄(すご)いのが、雲の上に重(かさな)って、天に、大波を立てている、……裏の峰が、たちまち颯(さっ)と暗くなって、雲が被(かぶ)ったと思うと、箕(み)で煽(あお)るように前の峰へ畝(うね)りを立ててあびせ掛けると、浴びせておいて晴れると思えば、その裏の峰がもう晴れた処から、ひだを取って白くなります...
泉鏡花 「唄立山心中一曲」
...美わしい美わしい空の下に上高地の谷をへだてて、手のとどきそうなすぐ前に、穂高の雄姿が、岩の襞を一つ一つ、数えられそうに見える...
板倉勝宣 「山と雪の日記」
...穂高から焼への尾根の一部が見えて...
板倉勝宣 「山と雪の日記」
...穂高のどの岩はどう取りついたらいいかというようなことは登山家の間では問題になり得るであろうが...
伊丹万作 「雑文的雑文」
...二日間滞在中穂高行の同志が四名増して一行五名...
鵜殿正雄 「穂高岳槍ヶ岳縦走記」
...南穂高の南東隅に当る赭(しゃ)色の絶嶂(ぜっしょう)...
鵜殿正雄 「穂高岳槍ヶ岳縦走記」
...三 南穂高岳午前十一時十五分、遂に、南穂高岳「信濃、又四郎岳、嘉門次」「信濃、奥穂高岳、並木氏」「信濃、前穂高岳、徹蔵氏」一等三角点の下に攀(よ)じ、一息して晴雨計を見ると約三千米突...
鵜殿正雄 「穂高岳槍ヶ岳縦走記」
...連稜の最低部=槍と穂高の交綏点(こうすいてん)についた...
鵜殿正雄 「穂高岳槍ヶ岳縦走記」
...今にして残念に思うのは、そんな事はあり得べきことではないが、十数年後に面識を得た、小島烏水か深田久彌が、突然私たちの傍に現れて、例えば、あれが乗鞍、あれが穂高、あれが槍、あれが何、等であります、と説明してくれたら、直木か私か、何方(どちら)かがそれ等の雪白き連山の見取図を描き、教えられるままに山々の名を書いて、永遠に保存することが出来たろう、という事である、直木はそんな見取図を描くことが好きであり、私もそんな「千載の一遇」の場合になれば山の見取図ぐらい描くことを辞さないつもりであるから...
宇野浩二 「それからそれ」
...信州徳本(とくごう)峠から穂高山を見るように...
大下藤次郎 「白峰の麓」
...自分たちは丁度北穂高の頂(いただき)から涸沢のカールの方へ下りてきたのだった...
大島亮吉 「涸沢の岩小屋のある夜のこと」
...当時穂高小学校の首席訓導であったが...
相馬愛蔵、相馬黒光 「一商人として」
...左手穂高岳へ連り...
豊島与志雄 「霊気」
...穂高の初雪は九月のうちに参りますよ...
中里介山 「大菩薩峠」
...穂高神社の物臭太郎をたずねて来た宇津木兵馬...
中里介山 「大菩薩峠」
...穂高岳(ほたかだけ)の洞窟だ...
平田晋策 「昭和遊撃隊」
...そして川上の開けた空には真正面に穂高ヶ岳が聳えているのであった...
若山牧水 「みなかみ紀行」
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