...その王稻城(いなぎ)四を作りて...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...およそこの大帶日子(おほたらしひこ)の天皇の御子たち、録(しる)せるは廿一王(はたちまりひとはしら)、記さざる五十九王(いそぢまりここのはしら)、并はせて八十王(はしら)います中に、若帶日子の命と倭建(やまとたける)の命、また五百木(いほき)の入日子(いりひこ)の命と、この三王(みはしら)は太子(ひつぎのみこ)六の名を負はし、それより餘(ほか)七十七王(ななまりななはしらのみこ)は、悉に國國の國の造、また別(わけ)、稻置(いなぎ)、縣主(あがたぬし)七に別け賜ひき...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...つばめ田の面(も)の稻は刈られたし...
薄田泣菫 「泣菫詩抄」
...『本當はうそ! 稻荷に行つたのですよ...
田山花袋 「道綱の母」
...若し早稻田の庭園にして一たび社交と隔離せば伯の園藝に對する趣味は...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...田にはもう掛稻は稀で稻を掛けた竹の「オダ」がまだ外(はづ)されずに立つて居る...
長塚節 「芋掘り」
...妻戀稻荷で勇太郎と話すのを盜み聞きしたんだらう...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...お稻の後ろに引添ふやうに...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...丁度紅葉(もみぢ)でも見乍ら王子の稻荷(いなり)樣へお詣りしようと思つたが...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...無量山壽經寺が徳川幕府時代所謂(いはゆる)傳通院殿のお靈屋(たまや)と澤藏司稻荷で有名になり...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...晝前に相良(さがら)樣御用人、晝頃稻葉佐仲樣、晝過ぎに田熊丹後樣」「奧は覗いて見なかつたのか」「飛んでもない...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...瀧野川の御稻荷樣から辨天樣にお詣(まゐ)りする積りで...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...同志社と慶應義塾と早稻田との三つのどれかを撰ぶべきかをいつも考へてゐたのだ...
正宗白鳥 「學校の今昔」
...これを早稻田文學が沒理想を説きて戲曲を嗜(たし)む所以(ゆゑん)とす...
森鴎外 「柵草紙の山房論文」
...かるが故に世には早稻田文學を講義録のみなりといふものあり...
森鴎外 「柵草紙の山房論文」
...早稻田文學の沒理想は沒理想にあらずして沒却主觀なりとおもひしはこれがためなり...
森鴎外 「柵草紙の山房論文」
...稻を作り得るやうになつたのであります...
柳田國男 「蒼海を望みて思ふ」
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横瀬夜雨 「天狗塚」
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