...――里見稲子(さとみいなこ)...
泉鏡花 「伊勢之巻」
...稲子さんの子供たちと半分ずつわけようと...
宮本百合子 「ある回想から」
...稲子さんが、そのころ住んでいた家は、上り口のつきあたりが茶の間になっていた...
宮本百合子 「ある回想から」
...窪川稲子と一緒にそういう場所に出ることが一度ならずあった...
宮本百合子 「打あけ話」
...たった一人そこに住んでいた作者の生活は、近所の壺井繁治同栄、窪川稲子、一田アキなどの友情で扶けられた...
宮本百合子 「解説(『風知草』)」
...佐多稲子は「思いあがり」という自責的な表現でうらから後家のがんばりに不十分に触れてゆくしかなかった...
宮本百合子 「解説(『風知草』)」
...窪川稲子に私がはじめて会ったのは...
宮本百合子 「窪川稲子のこと」
...窪川稲子その他の人々が東京駅から夜汽車で立った...
宮本百合子 「窪川稲子のこと」
...私は自分が稲子さんより年上だし劬って上げなければならないという気がしていたのであった...
宮本百合子 「窪川稲子のこと」
...稲子さんの方は、私がまるで新しい活動に入って来たのだからと、却ってそれとなくいろいろ気を配ってくれたのであったろう...
宮本百合子 「窪川稲子のこと」
...一九三二年窪川さんが獄中生活にうつるまで稲子さん一家は下十條にいて...
宮本百合子 「窪川稲子のこと」
...稲子さんも私も全力をつくして階級的に正常なものであると考えられる方向に向って行動するために努力したのであったが...
宮本百合子 「窪川稲子のこと」
...稲子さんは一九三二年の夏は大森の実家が長崎へ引上げた後の家に生れたばかりの達枝と健造...
宮本百合子 「窪川稲子のこと」
...私共は、その時分謂わば財布も一つ、心も一つという工合で、必死の生活をやっていたのであったが、稲子さんは、この布団を背負って行ったということを、そのことがあって既に何日か経った後、ごくさらりと、何かの話の間に交えて私に話した...
宮本百合子 「窪川稲子のこと」
...佐多稲子の作品をかたるとき...
宮本百合子 「現代文学の広場」
...健坊――佐多稲子の長男健造...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...稲子さんから御香奠を送って下さった...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...それがこの島に今もあるアサナツヌユニグンダニ(浅夏の稲子種?)という稲の始めだという...
柳田国男 「海上の道」
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