...木部から稟(う)けた笑窪(えくぼ)のできる笑顔(えがお)が否応なしに吸い付いて来た...
有島武郎 「或る女」
...結局それをその構成者の稟資(ひんし)(temperament)に帰することが出来るといっている...
有島武郎 「惜みなく愛は奪う」
...詩人の気稟(きひん)に富んだ男だった...
薄田泣菫 「艸木虫魚」
...当将軍家の比類を絶した天稟の御風格が...
太宰治 「右大臣実朝」
...天稟(てんぴん)の体へ絵の具を注ぎ込む迄になった...
谷崎潤一郎 「刺青」
...単(ひと)りその天稟(てんぴん)のみにあらず...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...及其稟化、而與現身相結合...
西周 「靈魂一元論」
...眼と耳の良いことはガラッ八の天稟(てんぴん)で...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...この天稟(てんぴん)の早耳は...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...八五郎の天稟(てんぴん)の好さかもわかりません...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...人々が天然自然に稟(う)け得たる能力を発達して...
福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
...竜気を稟(う)けて生まれてだにこんなだ...
南方熊楠 「十二支考」
...鴎外はそれと正面から争うことに芸術家としての気稟を評価するたちではなかった...
宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
...荷風や武麟や丹羽のかく市井風俗との気稟のちがいを感じます...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...飯田安石をして県庁に稟(まう)さしめた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「松峰院妙実日相信女、己丑(きちゅう)明和六年四月廿三日」とあるのは、輔之の妻、「源静院妙境信女、庚戌(こうじゅつ)寛政二年四月十三日」とあるのは、允成(ただしげ)の初(はじめ)の妻田中氏(うじ)、「寿松院妙遠日量信女、文政十二己丑(きちゅう)六月十四日」とあるのは、抽斎の生母岩田氏(いわたうじ)縫(ぬい)、「妙稟童女、父名允成、母川崎氏、寛政六年甲寅(こういん)三月七日、三歳而夭、俗名逸」とあるのも、「曇華(どんげ)水子(すいし)、文化八年辛未(しんび)閏(じゅん)二月十四日」とあるのも、並(ならび)に皆允成の女(むすめ)である...
森鴎外 「渋江抽斎」
...此の潜める生来の彼の高貴な稟性は...
横光利一 「新感覚論」
...さらに天稟(てんぴん)の武勇と血と涙とを...
吉川英治 「神州天馬侠」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??